数分のための2時間
昨日の小春日和とはうってかわり、今日は雲が厚くてときどき雨の降る1日だった。だけど暖かいので、引きこもりで仕事をするのにちょうどよかった。
ニュースでは北朝鮮のミサイル発射や、日馬富士の引退でてんやわんやという雰囲気。同じような報道を見ていてもウンザリするだけなので、そんなときは映画を観るに限る。仕事をメインにしつつも、今日の午後に映画を観た。
ボクは気に入った映画を何度も観ることが多い。面白いと感じるには、必ず理由がある。回数を重ねてその映画を観ることで、その面白さの秘密が見えてくる。それは小説を書く上で勉強になるので、とても大切なことだと思っている。
粋なセリフ、俳優さんの繊細な演技、巧妙な編集、あるいは映画全般を通じた監督の見事な演出等を発見することで、その映画を少しずつ理解することができる。何度も観ることが可能な映画というのは、そういう要素が必ずあるということ。
そしてボクが同じ映画を何度も観るのは、もうひとつ大きな理由がある。
それは最後の数分に凝縮されたラストシーンを観るため。その瞬間に、映画のすべてが集約している。感動させられる映画ほど、ラストが素晴らしい。だから最後の数分のために、2時間を費やしていると言っていい。
そんな映画の例をあげたらキリがない。ボクが何度も観ている映画はすべてがその法則に該当する。
『愛と青春の旅立ち』は、制服を身につけたリチャード・ギアが工場で働くデブラ・ウインガーを迎えに行くシーンを観るため。
『ロッキー』は、アポロに敗れたシルヴェスター・スタローンが「エイドリアン!」と叫んでリング状でタリア・シャイアを抱きしめるシーンを観るため。
『マディソン郡の橋』は、びしょ濡れでたたずむクリント・イーストウッドの姿に葛藤するメリル・ストリープのシーンを観るため。
『ホリディ』は、泣くことのできなかったキャメロン・ディアスが帰りのタクシーでジュード・ロウを想って涙するシーンを観るため。
『スクール・オブ・ロック』は、コンテストに敗れた子供たちのロックバンドが偽教師のジャック・ブラックとともに、観衆のアンコールに応えて演奏するシーンを観るため。
とにかく数えあげたらキリがない。こうした数分のために、2時間を費やしている。
そして今日の午後に観た映画も同じ。『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』という2011年のアメリカ映画。
説明の必要がない映画だけれど、このシリーズの最高傑作だと思っている。もちろん活躍するのはこの4人。
だけどボクが観たいのは、この4人じゃない。ラストの数分だけ、セリフもなしに登場する人物を観るために2時間を費やしている。
それはトム・クルーズ演じるイーサン・ハントの妻役を演じている、ミシェル・モナハンが登場するシーン。この笑顔を見ているだけで、涙が出てくる。
事件が解決してホッとする場面だけれど、イーサンの妻は公式には死んだことになっている。実際はスパイの彼とともにいると危険が及ぶため、身分を隠して保護されている。愛し合う夫婦なのに、抱きしめることさえできない。
遠く離れた場所でトムとミシェルが、かすかに微笑みを交わすシーンがラストにある。なんとも言えない切ないシーン。この数分を観るために、2時間をかけてアクションシーンを観ているようなもの。
イーサン・ハントは誰のために戦っているのか? そんな答えが、その短い時間に集約されている。今日もしっかりこのシーンを観た。いい映画というのは、こういう作品だと思う。こんな小説を書かないといけないよね!
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