SOLA TODAY Vol.714
ポジティブであれネガティブであれ、どちらかへ極端に走るとろくなことはない。健全なのはそれらのバランスであり、その振れ幅が大きいほど人間としての魅力が増すと思っている。
ところがポジティブなほうが好ましい、と考える人は多い。昨日もある記事を読んで、内容に賛同しつつも、疑問を持ってしまった。
この記事では、自己肯定感が高い人ほど、生活の意欲や幸福感が高くなる傾向があると断定している。まぁ、わからないことはない。自分のことをOKだと思えることで、やる気が出て幸福感が増すと思う。
この記事の面白いところは、通勤電車で自己肯定感が高い人とそうでない人がわかるという部分。ある著名な学者がこう述べているそう。
「たとえば通勤電車で自信満々な態度で席に座り、周囲を威嚇しているような人は自己肯定感が低い。一方、自己肯定感が高い人ほど自然体で車内でも目立たない」
なぜこうなるのか気になる人は、リンク先の記事に詳しく書かれている。心理学的にも面白い考察だった。要するに自分に自信がないから、他人の前では偉そうにするということ。逆に自信がある人は、アピールする必要がないので目立たないらしい。
なるほどと思ったし、この分析に異を唱えるつもりはない。弱い犬ほどよく吠えるのと同じだろう。ただボクが気になったのは、自己肯定感の高い人が幸せだと断定していること。
本当にそうだろうか?
ボクは人間にとって欠かせないものとして、自己検証と自己否定を大切にしている。自己を肯定することは大切だけれど、得てして自己満足に陥りやすいのが人間の性質。それでは想定外の進歩なんて一生経験することなく、井の中の蛙で終わってしまう。
今の自分でいいのだろうか? このままでいいのだろうか? そういう思いがなければ、人間は進化しない。ただ闇雲に自己肯定感を高めても、単なる自慰行為と同じ。
最初に書いたように、バランスが大切だと思う。まずは常に自分の現状を検証することが必要だろう。
自己検証→自己否定→さらなる努力→自己肯定。そしてまた自己検証→自己否定→さらなる努力→自己肯定とくり返していく。このループを継続していくことで、人間は進歩していくんだと思っている。
だから客観的な自己否定ができない人は、現状より先に進むことはない。それで本当に幸せだと言えるのだろうか? ボクならそんな人生はいらない。
自己否定はしんどいし、それを肯定に変えていくのも辛いことばかり。毎日毎日文章を書きながら、自己否定に打ちのめされている。だけど適当に妥協して自己満足にひたっていることは、ボクにとって幸せじゃない。
今までやれなかったことを達成したり、さらにその先に挑もうとする気持ちこそが、ボクの幸福感を支えている。だから自己検証と自己否定をくり返し、そこから常に新しい自己肯定を得ようとしている。生きることは、そのくり返しだと思っている。
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