なんでも霊のせいにしてはダメ
ボクは子供のころ、お盆の時期が恐怖だった。先祖の霊が自宅に戻ってくると聞かされていたから。お盆の数日間に幽霊と一緒に暮らすと思うだけで、夜中にトイレにいけないほどビビっていた。いまでは笑い話だけれど。
日本におけるお盆の風習はいいものだと思う。それは先祖霊の鎮魂を理由として、家族が集まることに意味があるから。だからあくまでも生きている人のための催しだと思う。残念ながらコロナの影響で、昨年と今年のお盆は様変わりしているのが寂しい。
ただそうした感覚が度を超えると、いいことも悪いことも霊のせいにしてしまう場合がある。ボクは霊現象を否定しないけれど、普通に暮らしている限り気にする必要はない。だけどそう割り切れない人が意外に多い。
不思議なことが起きると、それは霊の仕業だとして脊髄反応する人がいる。いいことも悪いことも、自分を通じてしか起きない。それを霊のせいにしてしまうと、本当の自分が見えなくなってしまう。そんなことを感じる記事を読んだ。
霊が引き合わせた?墓場で未来の妻と出会うことになった男性の物語
この実話はとても素敵な話だった。マットという男性は父の墓参りを欠かさない。いつも花を抱えて父の墓前に供えていた。ところが隣の墓が気になった。まったく誰も訪れた形跡がない。それで気になって調べてみると、その理由がわかった。
その墓は殺人者のものだった。37歳の男性で、クリスマスの日に妻と義理の両親を殺して自殺している。それゆえ誰も彼の墓を訪れていなかった。なんとなく気の毒に思ったマットは、その男性の墓にも花を供えるようになった。なんとそれが2年半も続いた。
やがてマットは犯人だけでなく、この事件の被害者たちにも手を合わせるべきだという気がした。それでようやくその3人の墓を見つけ。同じく墓参りをするようになった。そんなある日、墓参りの最中に若い女性が声をかけてきた。
「あなたはなぜ、わたしの叔母と祖父母のお墓参りをしてくれるの?」と。
それで事情を話したことで、その女性と親しくなった。そして結婚することになったという物語。つまりこの出会いは、父、あるいは殺人者の霊が引き合わせてくれたのでは? という内容の記事だった
映画にするなら霊のせいにしても面白いけれど、結婚相手との出会いに霊は関係ない。少し前のブログにも書いたけれど、人と人の出会いは必然。だからもしマットが被害者の墓を探すことがなくても、あるいは殺人者の墓に手を合わせることがなかったとしても、この二人はどこかで出会っている。
マットが殺人者や被害者の墓が気になったのは、彼自身の潜在意識が未来の妻との出会いを求めたからだと思う。だからもしマットがこうした行動を取らなかったとしても、この女性が自分の叔母と祖父母を殺した男の墓に来るかもしれない。そこで父の墓参りをしているマットと出会うというパターンもあるはず。
とにかくもっと自分の力を信じるべき。なんでも霊のせいにしていると、その妻とうまくいかなくなったときも霊のせいにしてしまうからね。
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