生きてさえいれば
このブログのタイトルは、ある小説のタイトル。その言葉が読後にじわじわと圧力を加えてくる。そんな物語だった。
小坂流加さんという作家がいる。ボクは昨年に『余命10年』という作品を読んで感動した。映画化も決まっている作品だけれど、この物語が世に出たときに著者は亡くなっていた。難病を患っておられて、この本の出版をみることなく39歳という若さで他界されている。
『余命10年』はそんな小坂さんの自伝のような作品で、ボクたちが普段は忘れたふりをしている、命の期限というものを思い出させてくれる小説だった。その小坂さんの没後、まだ発表されていない小説が出版された。それがこのブログタイトルの作品。
2022年 読書#23
『生きてさえいれば』小坂流加 著という小説、ジャンルとすれば恋愛小説なんだけれど、未知の可能性を感じさせる物語だった。おそらくまだ推敲できる段階なので、もう少し煮詰めればさらに素晴らしい作品になったように思う。だけど著者がいないから、どうしようもないよね。
主人公は東京の大学に通う秋葉という大阪出身の男性。同じ大学に春桜(はるか)というモデルをしている超美人の学生がいた。男子学生が追いかけ回すようなマドンナなのに、初めてあった秋葉に春桜はプロボーズした。
その理由は彼の名前が秋葉だったから。春桜には冬月という姉がいて、秋葉には父親ちがいの夏芽という妹がいる。つまり二人が結婚すれば春夏秋冬が成立する。そんな理由で春桜は秋葉に近づいたけれど、やがて二人は本気で愛し合うようになる。その過程には色々あるけれどね。
ただし、秋葉に大変なことが起きる。彼の両親が交通事故で死亡。さらに同乗していた妹の夏芽は小学生なのに半身不随の車椅子生活となってしまった。それゆえ秋葉は大学を辞めて大阪に戻るしかなかった。でも普通なら、二人の関係は続いただろう。
ところが秋葉を好いている大阪の女性の言葉によって、春桜は秋葉から離れることを決意する。さらに困ったことに、春桜は母の遺伝を受け継いでいて心臓が弱かった。そんな状態なのに、秋葉との別れがショックでお腹にいた子供を流産してしまう。その結果、心臓病が発症して入院することになった。
そのことに怒った姉の冬月によって、春桜に2度と会わないようにと秋葉は釘を刺される。そして7年が経過した。
春桜は相変わらず入院中で、ドナーが見つかって心臓移植するしか生きる道がない。いつ最後の日が来るかわからない状態だった。そんなとき、冬月の息子である甥っ子の千景が、秋葉宛ての手紙を見つける。住所は書かれていない。
大好きな叔母であるハルちゃんは、この手紙を届けたいはずだ。そう確信した彼は、少ない情報を元にしてその手紙を届けようとする。12歳の千景はひどいイジメにあっていて、死ぬことを決めていた。その前に叔母の願いを叶えようとする。実はこの場面が冒頭のシーンとして登場している。
結論から言えば、秋葉と春桜は再会できる。おそらくもう一度愛を確かめあっただろうと思う。物語はそこで終わっているけれど、『生きてさえいれば』というタイトルが心に突き刺さるラストだった。春桜は生きていたからこそ、もう一度秋葉に会えた。
それはもっと生きたいと願う、著者の心の声だったのでは? そう思うだけで、さらにこのラストが重さを増してくる。生への願いを感じることで、人間はいつか死ぬことを思い出させてもらえる。主人公たちの幸せを祈らずにはいられない物語だった。
もし著者が存命なら、甥っ子の千景のイジメ問題についても掘り下げられていたと思う。秋葉と叔母の春桜の体験を知ることで、彼が自殺という選択を手放してくれることになったはず。切ないけれど、とても素敵な物語だった。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。