天下分け目の矛と盾の戦い
ボクが京都祇園の芸舞妓事務所で働いていたとき、近くのお茶屋さんで能楽の大鼓、いわゆる大皮を習っていたことがある。そのお弟子さん仲間に、国友さんという女性がいた。国友といえば、戦国時代に滋賀県で鉄砲を製造していた職人組織の長の名称。
国友衆と呼ばれていて、現在でも国友銃砲火薬店という老舗を経営されている。国友さんはその血筋を引く人だった。なぜそんなことを思い出したかというと、国友衆が登場する小説を読んだから。
2022年 読書#56
『塞王の盾』今村翔吾 著という小説。昨日もブログに少し書いたけれど、ボクが今年読んだ小説で間違いなくベスト1に上げる作品。まだ今年は半分残っているけれどね。だとしてもこの作品を超える物語には、そうそう出会えないような気がする。それほどすごい内容だった。
第166回直木賞受賞作。著者の作品は、『童の神』と『じんかん』という作品を読んだ。どちらも素晴らしい作品だけれど、この小説はそれらの素晴らしさがかすむほど心に響く物語だった。
これから読む人もいるだろうと思うので、ネタバレはしないように慎重に。と言っても史実に基づく歴史小説なので、結果は決まっているんだけれど。
物語の主人公は飛田匡介という穴太衆の跡継ぎ。穴太衆というのは滋賀県の坂本に拠点を持つ、城の石垣を組む職人集団。その穴太衆を仕切っているのが飛田源斎で、匡介は血のつながりはないけれど源斎の後継として定められている。なぜなら匡介には石の言葉を聞き取れる天賦の才能があったから。
そして匡介の最大のライバルとなるのが、同じ滋賀県に拠点を持つ先ほど書いた国友衆。これは矛盾という言葉の由来と同じことを問いかけている物語。穴太衆も国友衆も、戦のない世界を希求している。だけどそのアプローチがまったくちがう。
匡介はどんな武将でも崩せない究極の石垣を組めば、この世界から戦が消えると考えていた。
一方国友衆を率いる彦九郎は、どんな石垣でも破壊する完璧な鉄砲、あるいは大砲を作れば、この世界から戦が消えると考えていた。
この両者が力を競い合うことで、その答えを求めようとする。その舞台となったのが、滋賀県の大津城。
匡介が石積みの修行を始めたころは、豊臣秀吉が天下を統一して平和な時代が続いていた。彼が唯一命の危険を感じながら石を積んだのは、本能寺の変で明智方についた甲賀衆の攻撃から、蒲生氏郷の居城を守ったとき。まだ若手だったけれど、彼の決断によって甲賀衆は撤退するしかなかった。
穴太衆は平和なときに石積みをするだけでなく、戦の最中に補強しながら城を守ることがある。元々は職人なので、どこかの武将の家来ではない。依頼されたなら、どの武将にでも協力する。そんな平和だった時代に終わりを告げる出来事が起きる。
豊臣秀吉の病死。
この物語のクライマックスは、関ヶ原の合戦となる。だけどその主戦場の関ヶ原ではなく、歴史的には『大津城の戦い』と呼ばれている争いが舞台。当時の大津城は京極高次が治めていた。妻は初という女性で、浅井長政の娘であり、織田信長の姪でもある。もっともわかりやすいのは淀君の妹。
だけど京極高次は豊臣方につかず、徳川につくことを決めた。なぜなら石田三成が大津を拠点にして、大きな戦を仕掛けようとしていたから。大津の領民を守るためには籠城するしかない。そのために匡介は信頼関係を築いていた高次から城の守りを依頼される。
もちろんライバルの国友衆は攻める側。大津城を舞台にして、究極の矛と盾の戦いが繰り広げられる。こうして書いているだけで興奮してきた。
ネタバレはこの程度にしておこう。とにかく匡介も彦九郎もかっこいい。さらに戦国オタクのボクだけれど、この作品を読んで京極高次の大ファンになってしまった。これは大きな収穫だと思う。大津城の戦いは知っていたけれど、それほど重要なものだと認識していなかったから。
史実を述べてしまうと、京極高次は最終的には城を開けて降伏する。だけど関ヶ原の合戦が始まる当日まで抵抗を続けた。もしもっと早く降伏していたら、この大津攻めの武将が参戦しているので、徳川家康は負けていたかもしれない。
その功績が認められて、関ヶ原の合戦のあと、京極高次は家康から多大なる恩賞を与えられている。とにかく矛と盾の戦いがどうなったか知りたい人は、是非とも本編を読んでほしい。とにかくすごい内容だし、結末にも感動する。これは絶対に映画化するべき作品だと思う。いまからボクは自分勝手にキャストを想像して楽しんでいる。
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