自由意志と運命の落とし所
人間に自由意志はあるかどうか?
この問いは、スピリチュアル世界に限ったことではない。脳生理学や脳神経学においても議論されてきた。なぜなら人間の脳を観察すると、個人の脳内で意思決定される前に、先に脳から別の信号が出ることがわかっているから。人間は自分で決めて指を動かしたように思い込んでいるだけだ、というのが脳神経学者の多数を占める仮説になりつつある。
ボクは科学的なことは別にして、はっきり言えば運命論者。それはヴューワーズやガイドたちと会話するなかでそう確信した。つまりすべての出来事はすでに決まっていて、起きるべきことが起きる。時間の世界から逸脱している彼らにすれば、それがこの問いの答えになる。彼らにとって過去・現在・未来は、すべて『今』に集約されているから。
ただボクたち人間にすれば、「はい、そうですか」と素直に納得できない。人間に自由意志がないと明言されると、努力することが無意味に思えてしまう。どうせ決まっているなら、どれだけ頑張っても同じだろう。そう思って何かに情熱を注ぐことを避けてしまう。
ヴューワーズたちに言わせれば、そうして逃避することも決まっている、と答えるだろう。つまりどのような結論を出しても、それはすでに決まっていることだと言われてしまう。
だけど運命論にもメリットがある。望む出来事が起きなかったとき、その事実を受け入れる助けになる。それは起きるべきことだった、と。つまり実際にこの世界に生きている人間は、どちらかに決めなくていいと思う。
先ほど書いたように、ボクは人間には自由意志がないと考えている。だからといって努力も、挑戦も、冒険も否定しない。むしろ積極的にやっていきたいと思っている。それは生活していく実用面において、あえてどちらかに決めつけないことを意識しているから。
言い方は悪いけれど、『良いところ取り』をしている。
何かを選択して努力を重ね、望む結果が出た時には、自分の自由意志を素直に讃える。これは決まっていたことだと思わず、努力の結果だと自分に拍手を送る。
その一方で、どうしようもないことに遭遇することもある。そんな時、自分を責めても仕方ない。だから事実を受け入れるため、起きるべきことは起きるんだと運命論を支持する。
自由意志と運命という相反する議論に対して、ボクはポジティブな意味で優柔不断でいいと思う。なぜなら運命だとしても、自由意志の結果だとしても、それが実際にどうなのかについて、現実世界の時空に囚われているボクたちには理解できない。だからわからないことに真実を求める必要はない。
要するに『気分よく過ごす』ことが大切。
起きた出来事の内容に応じて、自由意志と運命論を柔軟に適応していけばいい。そうして気分よく過ごせることで、次の一歩への活力となる。どちらが真実なのか白黒を求めるよりも、グレーな状態を楽しむべきだと思う。気分よく過ごす以上のことなんてないと思うよ。
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