FFは悟りへの常道#39
『FFは悟りへの常道』は連載記事になっていますので、初めての方はリンクを順次さかのぼって#1の<目次>からお読みください。
前回の記事はこちらです。記事内容は改稿、訂正、加筆等が発生すると思いますので、それぞれの記事の冒頭に最新更新日を記載しています。
この記事の最新更新日:2024年3月17日(日)
・本日付で#1の記事を訂正しています。
・悟りの優越感と承認欲求
一時的な目覚めを定着させるのは容易ではありません。なぜなら不必要だと悟り手放すことを決意をした観念は、現実生活を続けていくうえでは必要なものです。例えば善悪の概念を手放したからといって、他人の所有物を奪ったり、人を傷つけたり殺すことは絶対に許されません。
思考、感情、観念、そして自分の肉体との同一化が幻想だと理解しても、他人と関わることで楽しいことだけでなく不快なこともあります。食べることも必要ですし、性欲という本能も存在しています。
ブッダが語った「生老病死」という苦悩は人間の宿命です。それらの全てが「自我」との同一化という分離を促進します。だからいとも簡単に一時的な目覚めが両手からこぼれ落ちていきます。
観念等を手放した後、それらが真の自分ではないと理解しつつ、日常生活を生き抜いていかなければいけません。これは本当に困難な道です。
だからこそFFが必要となります。「運命論」世界の自分と対話を継続することによって、偶然が支配すると思われる「自由意志」世界に必然を持ち込む。そうして「自我」に縛り付けている感情や観念を見つけ出すことができるからです。
根気よくFFを続けて観念の解放を続けていると、再び目覚めの瞬間に出会うことになります。そうして目覚めを定着させていくしか方法がありません。ところが私たちがレベルアップすればするほど、さらに高いハードルが待ち受けています。
なぜなら目覚めによって、私たちが避けてきたものが表面化してくるからです。潜在意識に押し込めていた強烈な感情や観念が、目覚めによって活性化します。それゆえ無意識に目を背けていたものに直面しなければいけません。その圧力や恐怖は半端ありません。だから恐れを感じて得たばかりの目覚めを失ってしまうこともあります。
それらの新しいハードルを乗り越えていくことで、より定着した目覚めへと成長していきます。もはや自分を苦しめる観念は存在しないのでは? そう思える境地に至ることもあるでしょう。
ところが「自我」は常に私たちの隙を狙っています。ようやく高いハードル越えたと思っている人に待ち受けている落とし穴があります。それは優越感と承認欲求です。
「私は悟りを体験した!」と感じた瞬間、自分は特別だという意識が芽生えます。それは優越感へと育ち、再び自分と他人を分離することになってしまいます。これは「悟り」的なものだけではなく、スピリチュアル全般について言えることです。この「自我」の罠を、私は身をもって体験しています。
初めて体外離脱を体験したのは2009年の4月でした。本当に嬉しくて、すぐにSNSで体験を公開しました。当然ながら反応が返ってきます。その多くは賞賛の声であり、さらなる体験談を求める声でした。
その結果として体験談を書き続け、やがて体外離脱の方法を具体的に公開することになりました。そして2012年1月に『夢で会える 体外離脱入門』(ハート出版)という私の処女作が世に出ることになりました。
ところがその後に待っていたのは地獄と言っていいものでした。その詳細は2024年8月に出版された『夢体脱』(ハート出版)に書いています。その地獄とはまさに優越感と承認欲求がもたらしたものです。
体外離脱ができて本を出版した私は無意識に優越感を持つことになりました。本を初めて出版するという体験は確かに喜ばしい貴重な体験です。それゆえにあっという間に「自我」の罠に取り込まれてしまいました。
結果として最初の本の販促活動はできない状態に陥り、お世話になった出版社さんへの挨拶もできない状況に自分を追い込んでしまいました。それまで体験していたSNS等から脱退して、ネットを通じて交流していた人たちとの関係も断つことになりました。それは体外離脱を経験したことで表面化した新たなハードルに、真正面から向き合うことなく逃避した結果です。
現代はネット社会ですから、こうした優越感や承認欲求の誘惑は強烈です。特にスピリチュアル世界はそれらの誘惑に取り込まれやすくなります。なぜならその性質上、他人とは違う特殊な能力を見せることが多いからです。
でもここまで読んでいただいた方には、優越感や承認欲求が「自我」との同一化を進め、「ワンネス意識」から離れて分離への道を突き進んでいるのをわかっていただけると思います。
スピリチュアル能力で他人を助けたいという純粋な思いが、いつしか「自我」の欲求を満たすことに変質していきます。その変質に気づかず自制心が麻痺してしまうと、多額の費用を要求したり、何か物を売ろうとしたり、善意の恐怖を与えることで他人をコントロールしようとします。
私の場合は最初の本を出版した直後、一時的に自己を閉ざしたことで、幸いにもそうした方向へ進むことは避けられました。私のガイドたちは、『ゼロの物語』(オフィス・ニグンニイバ)という小説の執筆に専念させることで、私が大きく道を踏み外すことがないように配慮してくれたと思っています。
ワンネス意識から「自我」へと分離して、やがてワンネス意識へと戻る旅が「悟り」の道です。分離が「自我」の付属物をひたすら溜め込んでいく旅ならば、それらを捨てていくのが「悟り」の旅です。
この悟りの境地を感じさせる素晴らしい物語があります。それはJ・R・R・トールキンが書いた『指輪物語』です。
壮大なファンタジー作品ですが、私はこの物語の本質に「悟り」を感じています。主人公のフロドとサムは、命をかけた旅を決行します。もちろん仲間たちは別の場所で彼らをフォローしてくれています。だとしても地獄のような闇の世界を歩くのは彼ら自身です。
彼らの旅の目的は何かを「得る」ことではなく、悪の根源となっている魔法の指輪を「捨てる」ことです。そのために命を落とす覚悟をしています。この「捨てる」旅にこそ、悟りの本質が隠されていると感じます。この作品を読んでそう思うのは私だけかもしれませんが(笑)
話を戻しましょう。目覚めを定着させるためには、根気よくFFを続けて観念を手放していくしかありません。その結果新しい目覚めを体験しても、私たちは優越感や承認欲求からの誘惑に注意しなければいけません。
もしその結果として誰かを助けることがあったとしても、それは私自身の手柄ではないことを自分に言い聞かせる必要があります。
もし宇宙意識や高次存在の意志を私たちがこの世界で表現するとしても、それはあくまでも伝令役としての仕事であるべきです。導管、あるいはエネルギーのパイプとしての役に徹するべきです。「自我」としての『私』が他人のために能力を使おうと考えてしまうことで、瞬時に目覚めは消えて分離の世界に戻ってしまいます。
つまり目覚めがあったとしても、私たちにビフォーアフターはありません。普段と同じ日常世界を淡々と生きていくだけです。そして大切なのは、日々出会う現実に真正面から逃げずに向き合うことです。そのことについては次節で述べたいと思います。
最後に有名な禅の言葉を紹介しておきましょう。
『悟る前は、薪を割り、水を汲む
悟った後、薪を割り、水を汲む』
このシンプルな言葉に、悟りの本質が網羅されています。
<お知らせ>
最新刊の『夢体脱』が全国の書店、並びみAmazon等のECサイトで販売中です。2012年に出版した『夢で会える 体外離脱入門』は、非物質世界の存在に『会う』ことがメインテーマでした。
でも『夢体脱』ではその出会いをどのようにして実生活に活かしていくかをテーマにしています。旧作を読んだ方にも新しい洞察が得られる内容になっています。是非ともよろしくお願いします。
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ハート出版さんのサイトでも『夢体脱』の概要をご覧いただけます。こちらからどうぞ。
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