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高羽そらさんインタビュー

FFは悟りへの常道#41

『FFは悟りへの常道』は連載記事になっていますので、初めての方はリンクを順次さかのぼって#1<目次>からお読みください。

 

前回の記事はこちらです。記事内容は改稿、訂正、加筆等が発生すると思いますので、それぞれの記事の冒頭に最新更新日を記載しています。

 

この記事の最新更新日:2024年3月21日(木)

 

<悟りは誰にも必ずやってくる>

 

ここまで7つの章を費やすことでFFを使った「悟り」の道へと至るノウハウを語ってきましたが、最後の最後で「身も蓋もない」ことを言いますので覚悟してください(笑)

 

『悟るために特別に何かをする必要はありません。自分の感じるままに行動してください』

 

ここまで読まれた方の何人かは、「時間を返せ!」と怒られていることでしょう。でもそれが「悟り」の本質なのです。私もこのことを感じ取った時、戸惑いも怒りも感じました。悟るために必死で生きてきた自分を憐れみ、スピリチュアルなんてクソ喰らえという気分でした。

 

でもその段階を越えると、おかしくて笑いが止まらなくなりました。「悟る必要なんてなかった」と気づいた時、私の中でようやく「運命論」世界が「自由意志」世界と統合したことを確信しました。私が悟っていないことなど一度たりともなかったとわかった瞬間、それまでの苦労が笑い話へと変容したからです。

 

私たちは幼い頃から自分の現状を見て、そこから目標を定めることを教えられます。だから常に「何か」になろうとしたり、「何か」をやらなければいけないと自分に言い聞かせます。それは時間が存在する「自由意志」世界では普通のことですが、「悟り」に関しては分離を深めることになります。

 

「悟り」とは「何か」になることではなく、本当の自分を思い出すだけです。そのためには「何か」を手放さなくてはいけないのに、必死で「何か」を求めるという滑稽なことを続けています。そのことに気づいた瞬間、私は爆笑するしかありませんでした。

 

そもそもこの「自由意志」世界は、そうした回り道的な出来事でカオスになっている世界です。そして喜びや平安の存在を忘れてしまうほど、多くの悲しみと苦しみをもたらす世界でもあります。この世界では私たちの想像を絶することが日々起きています。

 

不治の病に苦しむ人がいて、その介護に疲弊する家族がいます。難病を患って、安楽死を選択する人がいます。普通の人には理解できない障害を持って生まれてくる人もいます。


犯罪の被害に遭って家族の命を奪われたり、財産を失った人もいます。犯罪の加害者は罪悪感を抱え、その家族も重い荷を背負うことになります。

 

人間関係は複雑になり、そのことで心を病んでしまう人が大勢います。いじめやハラスメントという暴力に苦しむ人もいます。不当な人種差別を受けて、社会を恨んでいる人もいます。 


会社が倒産したり解雇されて、未来への展望を失った人もいます。隣国に戦争を仕掛けられ、命からがら難民となる人もいます。独裁国に生まれ育ったことで、本音を言えずに怯えている人もいます。こうした事例を挙げたらキリがありません。

 

だから軽々しく、「皆さん FFを使って悟りましょう』などと私には言えません。人生にはどうしようもないと感じることが多々あり、どんな人でもその事実に打ちのめされた経験があるはずです。 


それでも必死で生きるしかない。それが人生の一面です。それは「自由意志」世界の視点で生きている限り避けられないことです。

 

ところがそこに「運命論」世界の視点を持ち込むことで、私たちはある種の平安を得ることができます。私たちの意識内で「自由意志」世界と「運命論」世界が統合することで、それまでに感じられなかった深い洞察が訪れます。それは時間の世界観から解放されるからです。

 

もう一度「運命論」の世界観を思い出してください。物理的宇宙で起きる出来事は、始まりと同時に終わっています。私たちは21世紀という時間軸でしか現実を知覚できないので、まだその途上にいると感じているだけです。


つまりワンネス意識から分離した私たちの「自我」は、同時にワンネス意識へと回帰しているのです。このことから自明となることがあります。

 

『悟りは誰にも必ずやってくる』

 

悟っていない人などいません。切り取った時空の一点だけを観ることで、まだ悟っていないと感じるだけです。それは思い出す過程を見ているだけであり、その人が悟っていないわけではありません。


私たちが「何か」をしなければ、「何か」にならなくては思うのは、本当の自分に戻る途中のシーンを見ているに過ぎません。つまり人によって進捗状況が異なるだけで、すでに結果として私たちはワンネス意識に戻っています。

 

だから私もあなたも、いや地球上の全ての人がいつかは必ず「悟り」ます。本当の自分を思い出します。ただそれがいつになるかは私たちにわからないだけです。今世かもしれませんし、来世かもしれません。いや、『真の自由意志』を今の人生で行使することで、過去生での「悟り」を誘発するかもしれません。 


どちらにしても私たちには、「何もわからない」ということです。この世界の私たちに「自由意志」は存在しないのですから(笑)

 

この「何もわからない」ということが、実は「悟り」における観念の解放を促します、意識に「運命論」を統合すると、この「何もわからない」という想いが明確になります。 


本当の自分を思い出して「悟り」へと至るためには、どうしても観念の手放しが絶対的に要求されます。それが『真の自由意志』を行使した「赦し」だと述べました。

 

この「赦し」をもたらすのが「何もわからない」という想いです。「自我」には何もできることがないという事実を受容することが「赦し」です。そしてその気づきに貫かれることが「観念」を手放すということです。


先ほど述べた悲しみや苦痛は、この「赦し」の炎によって浄化されることなしに「悟り」へと至ることはありません。こうして現実の出来事を「赦し」によって受け入れていくことが、悟りの道へとつながります。

 

少し理屈っぽくなったので話を戻しましょう。「運命論」を統合することで、私たちは宇宙への信頼と心の平安を享受できます。すべてが決まっているのなら、慌てる必要がないからです。


起きることは必ず起きます。私たちが「悟る」ことが決まっているのなら、それはいつか必ず起きます。「今」の人生だけの視点で見てしまうので、「何か」になろうとして焦ってしまうだけです。その「何か」を手放してみませんか?

 

「運命論」を統合する最大の利点は、過去の後悔を受容し、未来の不安を解消できることです。後悔している出来事が起きるべきことだったと理解することで、その体験から洞察を得ることができます。さらに『真の自由意志』を使うことで、その体験を過去生や未来生に好影響を及ぼすものに変換できます。

 

未来に起きることも決まっています。そのことを確信できると腹がすわります。病気だって、死ぬ時だって決まっています。だから死ぬ時までは絶対に死にません。生きるために必要なら、必然的に病院で検査を受けるでしょう。 


自分でコントロールしようと思うから、失敗しないか不安になります。「運命論」には失敗などありません。起きる出来事は決まっていて、かつその行き着く先は「悟り」でしかないからです。だからここでもう一度言います。

 

『悟るために特別に何かをする必要はありません。自分の感じるままに行動してください』

 

現在に重大な問題を抱えていて、「悟り」など考える余裕はない。それでいいんです。いつか考える時がやってきます。

 

裕福になって成功したい、美女を恋人にしたい。いいですね、ぜひトライしてください。でもいつかその観念を手放す時がやってきます。

 

訳のわからない壺やグッズを霊能力で浄化したと言って高額の値段で売ってやろう。買って喜ぶ人がいるならいいですよね。だけどいつか無駄なことをしていたと気づく時がやってきます。

 

新興宗教にハマったり、アセンションを信じてセミナーに通ったりがやめられない。それも貴重な経験だと思います。でもいつかそれらの観念が不要だと気づく時がやってきます。

 

つまり「自分」の思うままに生きてください。それは決められたことであり、何らかのフィードバックをもたらしてくれるものです。 


そうして思うままに生きているうちに、「戻りたい」という強い欲求が湧き上がってきます。その時になれば、否が応でも観念の手放しが必要になります。私がここまでFFについて書いてきたのは、その段階に至った人に役立ててもらえたらと思ったからです。

 

ここまでこの文章を読まれた人は、おそらくその段階に至った人だと思います。そういう意味では、この文章全体が自分の意識の地図のようなものだと思っていただけたら幸いです。    


「悟り」なんて頭にない人ははなから読もうとしないでしょう。途中まで読んでも「運命論」を受け入れることができず、「自分」の意志で未来を引き寄せると考える人はその先を読まないはずです。それでいいと思います。

 

でもここまで読まれた方は、「運命論」の統合がもたらす絶対的な安心感、平安を感じていただけるはずです。 


私がよくイメージするのは、川に浮かんでいる小舟に乗っている自分です。最初は必死になってオールを使って船を漕ごうとします。腕力もいるし不安もあるので心身ともに疲れます。でもいずれ必死に漕いでも目的地が同じだと気づいてしまいます。

 

そうなったらオール(観念)を川に捨てて、川の流れに沿って身を任せることができます。途中で急流があってハラハラするかもしれませんし、緩やかな流れでのんびりとすることもあるでしょう。


どちらにしてもその船が目的地に到着することがわかっています。絶対に道を誤ることがないという安心感は、実際に体験していただければ必ずわかります。

 

そんな平安を得たとしても、人生に波乱は起きます。怒り狂うことがあれば、泣くこともあるでしょう。悟りの境地で書いたように、薪を割って水を汲むことは変わりません。 


でもオールを手放したことで、それらの感情は船の向こうに流れていく「景色」であるとわかります。見つめていれば通り過ぎていくだけです。でもオールを手にしている限り、どうにか自分で対処しようと思ってしまいます。だから苦しさがいつまでも続くのです。

 

船のオール(観念)を手放して川の流れに任せる時期が訪れた人にとって、FFは役立つものだと自負しています。地味な作業ですが、必ず「悟り」の扉を開く鍵を見つけ出すことができます。なぜならそれはすでにあなたの今の人生にとって「決まって」いることですから。

 

現代は精神世界的に変革の時代を迎えています。「悟り」への準備が整った人が大勢いると思います。そんな人たちが一人でも多く、このFFを使って「悟り」の壁の向こうへ到達することを心より願っています。

 

 <お知らせ>

最新刊の『夢体脱』が全国の書店、並びみAmazon等のECサイトで販売中です。2012年に出版した『夢で会える 体外離脱入門』は、非物質世界の存在に『会う』ことがメインテーマでした。

 

でも『夢体脱』ではその出会いをどのようにして実生活に活かしていくかをテーマにしています。旧作を読んだ方にも新しい洞察が得られる内容になっています。是非ともよろしくお願いします。

 

Amazonでは単行本と同時に、Kindleの電子書籍でも購入していただけます。こちらからどうぞ。

 

ハート出版さんのサイトでも『夢体脱』の概要をご覧いただけます。こちらからどうぞ。

 

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高羽そら|たかはそら(作家、小説家)プロフィール

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高羽そら(たかはそら)
今後の目標:毎年1つの物語を完成させたいと思います。
生年月日:昭和37年5月10日
血液型:A型
出身地:京都市

【経歴】
1962年京都市生まれ。数年前に生活の拠点を神戸に移してから、体外離脱を経験するようになる。『夢で会える 体外離脱入門』(ハート出版)を2012年1月に出版。『ゼロの物語Ⅰ〜出会い〜』、『ゼロの物語Ⅱ〜7本の剣の守り手〜』、『ゼロの物語Ⅲ〜次元上昇〜』の3部作を、2013年7月〜12月にかけて、オフィスニグンニイバよりAmazonのKindleにて出版。現在も新たな物語を執筆中。

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