FFは悟りへの常道#40
『FFは悟りへの常道』は連載記事になっていますので、初めての方はリンクを順次さかのぼって#1の<目次>からお読みください。
前回の記事はこちらです。記事内容は改稿、訂正、加筆等が発生すると思いますので、それぞれの記事の冒頭に最新更新日を記載しています。
この記事の最新更新日:2024年3月19日(火)
<現実に向き合うとは?>
ここまでの最終章では、ワンネス意識との統合という「悟り」の到達点を見てきました。おそらく大勢の方が、ゴールへと至る壁の高さに諦念を抱いておられるでしょう。
それは私も同じで、「自我」の完全なる明け渡しは、「死」をもってする以外にないように感じます。いや、たとえ死んだとしても、私たちは「自我」との同一化から抜け出すことができなかったことで、現在もこうして転生を繰り返しています。
だったら私たちにできることとは何でしょう? どうすればそり立つ壁を越えることができるのでしょう?
ここでマラソン競技を思い浮かべてください。以前、ある著名なマラソンランナーのインタビューを読んだことがあります。トップランナーは42.195kmという距離を常人では考えられない速度で走り抜けます。だからと言って、彼らは楽々に走っているのでなく、やはりとてつもなく苦しいとのことです。
そんな時はどうするのか、と尋ねられたランナーは、「とにかく次の信号まで、とにかく次の交差点まで」という気持ちで走ると答えておられました。まだスタートして半ばの距離では、ゴールを考えるだけで途方に暮れてしまいます。ですから目の前の目標に集中するとのことです。
これは「悟り」への旅も同じです。到達するゴールを知っておくのは大切です。けれどもそこに意識が囚われてしまうと、本当にできるだろうかという不安に取り憑かれてしまいます。そして足が止まってしまうでしょう。ですからマラソンと同じように、目の前の目標に集中することが必要になります。
それは「現実に真正面から向き合う」ということです。過去生のトラウマや今の人生の課題は、常に私たちの眼前に提示されています。過去生セラピーを受ける必要などありません。過去生など知らなくても、目の前の課題に真正面から取り組むことで過去のトラウマは昇華できます。そのための「今」の人生なのですから。
私たちは「自由意志」の世界で暮らしています。つまり私たちにとって戦場とはこの現実世界であり、ここでしか自分の技量を発揮する場所はありません。日々を全力で生きることが、「悟り」への最短距離となるのです。だから目の前の出来事から逃げずに向き合っていくしかありません。
では逃げずに現実に向き合うとは、どのような状態なのでしょう?
これはその人の信条や信念によって、その方向性が大きく異なります。例えば国家元首が隣国の侵攻を決意し、軍隊を派遣して侵略したとします。現在でもこうしたことが実際に起きています。この国家元首は国益、あるいは自己の利益という観念において、現実に向き合っています。その結果、多くの人が命を落としています。これも現実との向き合いです。
アルコールや薬物依存の人たちについて、私は現実に向き合っていないとは考えません。辛い現実から逃れる行為として、アルコールや薬物を選択しただけです。それが自己破壊につながる行為だとしても、生きるために選んだギリギリの決断なのです。彼らは決して現実から目を背けているわけではありません。
乱暴な言い方かもしれませんが、詐欺や窃盗、あるいは殺人という犯罪に手を染める人も、生きるという意味において彼らなりに現実に向き合っています。
つまり現実に向き合うとは、「生きる」ということが基本にあります。生きている限り、誰もが現実に向き合っています。自死を否定するわけではありませんが、そういう意味で自殺は、現実に向き合うことを避けた唯一の行動かもしれません。
現実に向き合うということを真剣に考えようとするならば、私たちが生きるための「指針」を明確にすることが欠かせません。では「悟り」ということに関して現実に向き合うための「指針」とは何でしょう?
それは「戻りたい!」と切に願うかどうかです。「悟り」の動機はこの言葉に尽きると思います。
本来はワンネス意識だった私たちが、究極の分離を経験することで「自我」を獲得しました。そして「自我」の目的を果たし、いよいよUターンの旅を決意します。この想いを象徴したのが「戻りたい」という願いです。
この「戻りたい」という想いを感じている人は、ようやく「悟り」の旅において現実世界に向き合う準備ができたことになります。ここまで読んでこられた方は、おそらくその強い想いを抱かれているはずです。そうでなければここまで読み進めることはないでしょう。
この段階まで来ればシンプルな答えが待っています。この世界は全て波動における振動数で表せます。分離は振動数の減少であり、意識の拡大は振動数の上昇だとすでに述べました。
つまり私たちが逃げずに現実世界に向き合うための「指針」とは、『真の自由意志』を行使して振動数を上昇させるかどうかです。振動数を下げる行為に至った場合、「私たちは現実に向き合っていない」ということになります。
FFを使って「運命論」世界を「自由意志」世界にインストールすることで、私たちは隠された感情や観念を炙り出せます。そして『真の自由意志』を使ってそれらを解放していくことで振動数の上昇をもたらします。その行為がこそが、「悟り」の旅において「現実世界に向き合っている」ということです。
だから「運命論」を取り込んだことで、何をやっても決まっているから無駄だと怠惰になったり、自分の罪を必然だったと正当化することは振動数を下げます。これらの行為は運命論の誤用について説明したように、「自我」との同一化を深め分離が加速します。「運命論」に基づいた怠惰や罪の正当化は、「悟り」という「指針」において現実から逃げていることになります。
真正面から向き合うということは、起きた事実を受け入れ、そこから意識の拡大へと繋げていく行為です。だからと言って辛い現実から逃げてはいけないという意味ではありません。
いじめやハラスメント行為を事実として受け止め、その世界から逃げるという行為は現実逃避ではありません。「悟り」の旅において現実に向き合うとは、その場から逃げることが最善策だと明確に見出すことです。
目指すゴールは知っていても、その遠さに悲観することも落ち込む必要もありません。私たちに対処できないことは用意されていません。「自由意志」世界だと錯覚している私たちに「運命論」を当てはめることで、それまで隠されていたものが見えてきます。そうして一つずつ認識して、手放していくことを淡々とやっていくだけです。そして気がついた時には、目の前にゴールが見えています。
FFを使った「悟り」へと至るこの道は、個人差はあっても誰もが必ず通ることになります。これ以外の道はありません。『指輪物語』のフロドとサムが指輪を捨てる旅に出たように、私たちが「戻りたい」と思った時に「自我」を捨てる旅が始まります。それゆえ私はこの道を「常道」だと考えています。
「常道」という言葉を辞書で調べると、決まっていて変わらない道、一定不変の道、不変の真理、と説明されています。不要な感情や観念を見つけ出し、「自我」を手放していくことが「悟り」の旅の常道です。
FFはその常道を突き進むために私が提唱した手法の一つです。地味な作業ですが、継続することで心の平安を見つけることができます。最後の節で、その平安の境地について述べましょう。
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