命を食すること
毎朝土砂災害のニュースに心を痛めるのですが、九州北部や中国地方でもさらに大雨が降っているとのこと。これ以上被害が拡大することのないよう祈るしかありません。神戸も夜には雨になりそうです。その雨のあとは秋の空気が入ってくるとのことで、涼しくなったら思い切り散歩したいと思っています。
クタクタになるくらいに歩いて、昨日撮影したこのような花や動物たちと出会いたいですね。
動物と言えば、昨日は私の大好きな番組である「世界ネコ歩き」の録画を見ました。最新版はノルウェーのニャンコだったのですが、この番組はどこの国のロケでも基本は同じです。だってネコのアップを淡々と放送しているだけですからね〜〜
それでも北欧の自然で遊び回るネコたちを見ていると、野生の本能の美しさと素晴らしさを感じました。犬や猫は人間のペットとして種の保存をしてきた動物ですが、活き活きと自然に溶け込む姿を見るのは楽しかったです。
ペットとしてではなく、人間の食糧として種を維持している動物たちもいます。人間が存在する限り家畜たちが絶滅することはないでしょうが、彼らがその命を人間の食べ物として提供することは続くのかもしれません。
私は外国語大学を中退して、畜産科の大学を卒業しました。動物を愛するゆえに動物と関わる仕事につこうとしたのですが、そこで人生観を根底から覆される経験をしました。実習として行った屠殺場の見学です……。
それ以来、命を食することについて考えてきました。動物たちを食べることに抵抗して、ベジタリアンになろうとしたこともあります。でもそんな動機から行う行動は自己満足であり、命の本質を見つめていないことだと感じています。なぜなら命は平等であり、植物だって命ある存在なのです。
先日ネットである記事を読みましたが、植物の本体を傷つけることがなくても、同種の実を食べている音を聞かせるだけでその植物はストレス物質を出すそうです。動物のように目や鼻や耳がなくても、彼らは自分の状況を把握する能力を持っているということですね。
本当に命を食することなく生きるのなら、全くの「不食」生活をするしかありません。そんな人がこの世界に存在することは聞いたことがありますが、その真偽は別として、一般の私たちにとっては現実的ではありません。では私たちにできることはないのでしょうか?
私も試行錯誤していますが、命へのリスペクトを忘れずに食することを考えています。そのために意識していることがあります。
「必要以上は食べない。でも、決して食べ物を残さない」
以前はビュッフェが好きでよく行きましたが、最近は行くことがなくなりました。どうしても必要以上に食べてしまいます。自分にとって必要な量だけ食べる。そして外食で注文するにしても、自炊するにしても、食べきれる量を用意することを意識しています。
「食材を大切にして、無駄にしない」
我が家は基本的に食材を備蓄しません。調味料等は仕方ありませんが、実際の食材はその都度購入することを原則にしています。今の季節は二日に一度買い物に行きますが、外出する日の冷蔵庫はスッキリした状態です。うっかりして野菜を腐らせたり、食べ忘れて捨てる食材なんてあり得ません。捨てればただのゴミです。
何でもないことですが、こうした小さなことから意識していくべきだと思います。そこにあるのは命に対する感謝の思いですね。
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする