今日の言葉 5月27日
『単に気づいているということ』
知識であろうと経験であろうと、あらゆる類の蓄積、あらゆる類の理想、精神の諸々の投影物、あるべき、あらざるべきといった、精神を形成している諸々の決まり切った習慣、こういった諸々のせいで、探求と発見のプロセスが台無しにされていることは、確かで明らかなことです。
そういう訳で、私たちの探求は目先の問題を解決するためのものであってはならないと思います。それはむしろ精神、すなわち表層意識のみならず、ありとあらゆる伝統、記憶、民族的に受け継いできた知識が蓄えられている深層潜在意識をも併せた精神全体を片づけることができるかどうかを見出すためのものであるべきだ、と思うのです。何ら要求する感覚も、いかなるプレッシャーもなく、精神が気づいていられる時、そう、単に気づいていられる時にだけ、こういったことは成され得ると私は思っています。
理解、突き進む方法、非常に奥深く進んで行く方法は、気づき、すなわちただ自分たちの思考と感情に気づいていること、つまり非難したり、比較したりせずに、ただ観察することにあると思います。試してみれば、それがいかに難しいかがお分かりなるでしょう。なぜかと言うと、私たちは全て、非難したり容認したり比較したりするように訓練されているからです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜