今日のウィルバーくん 2.6
「アポロ・コンプレックス」により、微細(サトル)領域に移行できなかったウィルバーです。湧き上がる思考との闘いの日々が続いたようです。しかしやがて、そこから抜け出すことができ、瞑想の次の段階へと旅立っていきます。ウィルバーの言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
ぼく自身の強迫的な思考との闘い、すなわち思考それ自体の流れとの闘いは、困難を極めた。しかしやがて、幸運なことに、いくらが進展があり、やがて断続的な思考の収縮から抜け出て、初めて比較できないほど深く、リアルで、より存在に満たされ、明晰さに対して開かれた領域を見ることができた。
この領域は、すなわち「微細」(サトル)領域であり、それはアポロ・コンプレックスが枯渇し、なくなった時、初めて開示されるのである。この領域では、必ずしも思考は停止する必要はない(しかし、初めての段階ではしばしば停止する)。しかし思考が起きても、思考よりも広い明晰な意識の背景から、眼を奪われることがなくなるのである。
この微細な領域では、「思考」に心を奪われるということはない。むしろ思考は、空を横切る雲のように意識のなかに入ってきて、出ていくのである。それは漂う雲と同じように、スムースで、優雅で、軽快なものである。べたべたとくっついているものは何もなく、いらだたしいものは何もなく、ぎしぎしと音を立てるものもない。荘子は言った。「完全な人間とは、心を鏡のように使う。何もつかもうとせず、何も拒絶せず、何も受け取らず、何もため込まない』。
〜以上が抜粋。ケン・ウィルバー著『無門関』より。
思考を停止させようとするから、思考に翻弄される。この根本的なミスを、簡潔に教えてくれる文章です。猿が木から木に飛び移るような思考を消そうとすれば、逆にその思考の思う壺だ、ということです。
ただ現れては消えるのを「見る」。それを知ることで、ウィルバーは微細(サトル)領域へと移行することができました。その時の感想を次のように述べています。
『ある禅の老師が言ったように、最初の強い「見性」の体験に対する反応は、笑いではなく、泣くことであった。それこそ、ぼくの反応であった。何時間もそれは続いたように思えた。感謝の、慈悲の、謙譲の、そして最後に無限の驚きの涙であった。笑い、大いなる笑いがそのあとにやってきた』
そんな涙と笑いを経験してみたいものです。明日はその微細(サトル)な領域に対して、他者の具体例紹介しているウィルバーの文章を見ていきます。
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