今日のウィルバーくん 7.10
目に見えている世界は、現象としては不完全です。常に変化を繰り返し、一瞬たりとも静止することはありません。進化という言葉で表現できますが、それは永遠に続くような気がします。そしてそれは同時に、人間が持つ不完全性を象徴しているように思います。
人間という存在において、人格者と言われるような人であっても完璧ではありません。長所は欠点の裏返しであり、すべてにおいてパーフェクトな人間などありえません。つまりどんな人間にも「のびしろ」があるわけで、変化に終わりはないのです。
ウィルバーは言います。目に見ている顕現の世界は低次の元因(コーザル)レベルに存在していて、常にオメガ(到達点)を目指しています。しかしそれは前方に向かって退いている状態であって、常に新しい地平線を彼方にもち、そこへ到達したり、終点であると充足したりすることができない。そう述べています。なぜなら到達したように見えても、以前の全体を部分とする新しい全体を生み出しているからです。マトリョーシカの人形をイメージするとわかりやすいですね。ウィルバーの言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
最終的なオメガ、いまだ現れていない究極のオメガ、元因的な無形性のオメガは地平線の向こう側にあり、決してそれ自体では、形ある世界には単一性としても総体性としても(あるいは、いかなる現象として現れる事象としても)入ることはないのである。それは顕現されたものとしては決して見つけることはできない。一方、顕現された世界は、この無限の「空」以外のところでは、決して休止することはできないのである。
かくして、どのような角度から見ても、究極のオメガはこの形ある世界では見つけることはできない。顕現された世界に完全はない。もし形ある世界が完全性を見つけ、完全なる充足を見出したとする。すると、もう何もなすところなく、どこへも行くところもなく、欲することも探求することもない。全世界は探求を停止し、動機をなくし、運動を完全に止めてしまう。運動、時間、空間がない世界となる。それは「無形」(無相)の世界である。しかし「無形」の世界は地平線の彼方にすでに存在している。すなわち「無形」の世界は、この瞬間、この瞬間の最深のところにすでに存在しているのである。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『進化の構造』より。
ウィルバーははっきりと言い切っています。目に見える世界、すなわち顕現された世界に完全はない、と。
完全な世界とは、運動、時間、空間がない世界なのです。そこに「進化」という概念が入る余地はありません。時系列に沿って進む世界ではないからです。悟りを求める人が至ろうしているのは、そういう世界です。つまり目に見える世界には存在しないものです。
目に見える世界での神秘現象や超能力、あるいは現世的な利益を追い求めている限り、顕現世界に内在する本質に気づくことができない、ということなのでしょうね。
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