SOLA TODAY Vol.817
Twitterでもっとも不便に思うのは、訂正ができないこと。FacebookやInstagramとちがって、文章に誤字脱字があっても編集できない。
そのことをわかっているから慎重になるけれど、時々やらかしてしまう。仕方ないなぁと思いつつ、修正できない過去をなんとも言えない気持ちでながめることになる。
だけどツイートそのものを削除すれば問題ない。失敗した過去を消すことはできる。といっても著名人や炎上した人は、元ツイートを消しても意味がない。あっという間に拡散されて、個人では対処できなくなる。
そんななか、「忘れられる権利」があってもいのでは、という議論が起きている。
殺人事件の記憶は消せるのか?「忘れられる権利」の限界を指摘しよう
自分で削除できる機能があるメディアであればいいが、出来事がニュース記事等になってしまえばどうしようもない。この記事でも例が出されている。過去に若気の至りでヌード写真を出した人や、重大な法律違反を犯したような人が、現在とのちがいを明確にするために訴訟を起こしている。
ヨーロッパではそうした人の主張が認められて、記事を削除させる判例も出ているし、逆に敗訴している場合もある。報道の自由と忘れられる権利との戦いは、一進一退で決着が見えていないとのこと。
そんな「忘れられる権利」について考察を深めた記事で、なかなか面白かった。著者の意見としては過去を消すことにフォーカスするのではなく、それはすでに過去であることを『追記』するほうがベターなのでは、という意見だった。過去と今とではこれだけちがう、とはっきりさせるということだろう。
日本の芸能人等でも、過去の失敗を引きずっている人は多い。一度植えつけられたイメージを払拭するのは、並大抵の努力ではないだろう。だからせめてネット上だけでも、過去を消したいという気持ちはよくわかる。
どんな人にも、そんなことの一つや二つはあるだろう。思い出したら赤面したり、反省するしかないようなことはあると思う。ボクだってそうだ。
でもボクは、過去を消したいとは思わない。「忘れられる権利」を主張する気もない。だってやってしまったのは事実だし、それをなかったことにはできない。
だからその事実を認めることで、今の自分を変えていきたいと思う。過去の失敗があったからこそ、今の自分があることを証明したい。人間が次のステージに進むために、過去の失敗は大きな原動力になると思う。失敗したから終わりだなんて、そんな人生は悲しすぎる。
ただ失敗の内容にもよるよね。殺人事件等の凶悪犯罪は、被害者やその家族のことを考えると複雑な気持ちになる。加害者が過ちを認めて更生したとしても、被害者家族にすれば釈然としないものが残るだろう。まぁ、難しい問題であるのはまちがいないよなぁ。
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