伝わらないと意味がないよね
今日は負け惜しみのブログwww
ある本を読んで、久しぶりに降参した。いま執筆途中の新作の勉強のための本で、とりあえず最後まで読むことで、最低限必要とする情報やアイデアは手にできた。ただあまりに難解過ぎて、かなりのページを読み流すだけになった。悔しいなぁ。
2021年 読書#2
『時間と自由意志──自由は存在するか』青山拓央 著という本。
書こうとしている新作小説は、人間の自由意志をテーマにしたもの。ボク自身としては、人間には究極的に自由意志がないと思っている。だからといって決定論を支持しているわけではなく、自由意志が存在しないなら人を殺しても罪にならないとは考えていない。
自由意志が錯覚だとしても、行動に対する自己責任を肯定している。そのあたりの微妙な『自由の感覚』を知りたくて、この本を選んだ。漠然としているけれど、ボクなりに当初の目的は果たせたと思う。
ただこの本は、いわゆる哲学書。とにかく文章が難解で、ボクの読解力を棚にあげるけれど、わざとわかりにくく書いているとしか思えないwww
昨年の暮れに意識と宇宙論に関する本を読んだけれど、それと肩を並べるくらい読むのに時間がかかる本だった。1日に50ページ読んでも、脳みそがヘトヘトに疲れてしまう。まじで厄介な文章だった。
なぜ哲学書って、こんなに読みにくいんだろう? 特定の概念を端的に表すために、お腹いっぱいになるほど抽象的な言葉を多用する必要があるのかな?
一つの単語に含まれている意味が多く、そのすべてに意識を持っていかないと読み進んでいけない。何度も同じ単語を見ていると、わかったような気がして読み流してしまう。だから途中でその章で伝えようとすることがわからなくなってしまう。
著者の学位論文を本にしたものなので、専門家向けの文章になっているのかもしれない。だけど哲学というものは、学者だけのために存在しているものじゃないはず。宗教と同じような位置付けがあって、人間が人生をよりよく生きていけるための学問じゃないだろうか?
だったら自分の考えを伝えるためには、もっとわかりやすい文章で書いたほうがいいのにね。一部の研究者だけが理解できる理論なんて、社会にとって何の意味も持たないような気がする。専門的な勉強をしてない人にも、特定の概念をわかりやすく伝えていくべきでは? 伝わらないと意味がないと思う。
哲学って、もっと身近なものだと思う。だから難しいことを、どれだけわかりやすく伝えるかが学者の責務じゃないのかな、と負け惜しみのボクはそう思うなぁwww
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