今日の言葉 2月15日
『直接の観察』
なぜ観念は私たちの精神に根を下ろしているのでしょう? なぜ観念ではなく、事実が極めて重要になることがないのでしょう? なぜ事実よりはむしろ理論や観念の方がかくも重要な意味を持っているのでしょう?
あなたは逃げるかもしれません。ありとあらゆる類のことを行うかもしれません。にもかかわらず事実、すなわち怒っているという事実、野心的であるという事実、好色であるという事実、あるいはその他多くの事実はなくなりません。
もしあなたが事実と共に生き、それ故、事実に面と向かい合うためのエネルギーを解放していれば、あなたは相反するものとの対立を一気に取り除いてしまうことでしょう。私たちの多くにとって、矛盾は、その中に精神が捉われている途方もない領域です。私はこういうことをしたいと思っているのだが、実際は全く違うことをしてしまうのです。が、自分はこういうことをしたいと思っている事実に直面するなら、そこにはいかなる矛盾もなくなります。それ故、相反しているという感覚は消え去ります。すると、精神はもっぱらあるがままに関心を持ち、あるがままを理解し始めるようになるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜