今日の言葉 7月7日
『苦しみを理解する』
私たちには知識があるかもしれない、お金があるかもしれない、豪奢な邸宅があるもしれない、子供が沢山いて、多数の車を所有しており、山ほどの経験があるかもしれない。しかしそれにもかかわらず、私たちは不幸な存在であるのです。私たちは不幸で、苦しんでいる人間なのです。で、苦しんでいるから、幸せが欲しい。そこでこの幸せ、すなわち社会的、経済的、霊的幸せを約束してくれる人に入れ込むのです。
自分が苦しんでいる時、幸せが存在するのかどうかを尋ねたところで、何の役に立つというのでしょう? 自分は苦しみを理解することができるか? 問題はこれであり、どうやって幸せになるか、ということではありません。
しかし精神の一部が幸せを求めて、この惨めさから抜け出る方法を求めて逃げ出していたら、苦しみの何たるかを理解することなどできるのでしょうか? となると、つまり苦しみを理解したいならば、私はそれと完全に一体にならなくてはいけない、ということのなのではありませんか? それを拒絶するのではなく、正当化するのでもなく、非難するのでもなく、比較するのでもなく、完全にそれと一つになって、理解しなくてはならないのではありませんか?
耳を傾ける術を知っているならば、幸せとは何かを告げる真理が訪れることでしょう。私は苦しみに耳を傾ける術を知らなくてはなりません。苦しみに耳を傾けることができるならば、幸せにも耳を傾けることもできます。なぜならば、それがあるがままの自分だからです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜