幸せって、何?
数日前まで涼しかったのに、すっかり真夏になりました。昨日は夕方になってから風が止まり、久しぶりに寝苦しい夜を過ごしました。今日も昼間は風が強かったのですが、夜も吹き続けてくれることを願っています。
買い物に出ましたが、あまりに暑かったのでちょっと避暑に行ってきました。冷房の効いた列車に乗り込んで、意味もなく車窓を楽しむことにしました。
JRの車窓から見える須磨の海岸です。青空は見えていますが、どうも淡路島方面は天気が不安定なようです。風が強いので波も荒れていましたね。
明石海峡大橋も、雨に煙っているように見えますね。もしかしたら淡路島や四国は雨が降っていたのかもしれません。姫路でUターンして神戸に戻ってきました。綺麗に修繕された真っ白な姫路城も、遠景で見ました。秋になったら、久しぶりに姫路城に行ってみたいと思っています。
明石駅からは、明石城が見えました。江戸時代のお城のようです。駅のすぐ近くにこんな綺麗なお城があるのを知りませんでした。
さて、7月13日は我が家にとって記念日です。ちょうど9年前の今日、ミューナが我が家にやってきました。印刷会社に勤めている時で、事務所の女性が通っているスポーツジムの屋根裏で保護された野良猫です。もう少しで保健所送りになるところでして、預かったのがこの日だったのです。
2006年の7月13日は金曜日でした。つまり不吉なことに、13日の金曜日にやってきた黒猫で〜〜〜す
めちゃ暑い記憶があったので調べてみると、その日の京都の最高気温は33度でした。やっぱり暑かったのですね。ちょっと嘘をついてお昼に会社を抜け出して、妻を連れてミューナを引き取りに行きました。午後から中途採用希望者の面接をしなくてはいけなかったので、まだフルフルと震えている子猫を妻に預けて慌てて会社に戻ったのを覚えています。いよいよミューナとの生活も、10年目に突入しました。
先日散歩している時、妻がポツリと言いました。
「ミューナって、幸せだと思って暮らしてくれているかな?」
そりゃ幸せだと思っているだろう、と答えました。でもよく考えてみると、ミューナは今の生活が当たり前です。その生活しか知りません。大人になるまで野良猫として暮らしていたり、以前の飼い主に虐待されていたのだとしたら、今の生活が幸せだと感じるかもしれません。でも目が開いたばかりの赤ちゃんから私たちと暮らしているわけですから、それが幸せかどうかなんて思うこともないはずです。
もしかしたら幸せって、他人との比較なのではないでしょうか? あるいは辛い思いをした過去の自分との比較なのではないのでしょうか?
私たちは幸せになりたい、と思って生きています。不幸になりたい、と思って生きている人はいないはずです。
でもその幸せって、何でしょうか? とても曖昧だと思いませんか?
体調が悪くて食欲のない生活が続いていた人なら、美味しく食べられるだけで幸せだと思うでしょう。足を怪我して思うように歩けなかった人が、自由に走り回れるような立った時は最高に幸せだと感じるはずです。
けれども特に何もなく暮らしている時に、ただ食べて、ただ走っているだけの時もあります。それが幸せだと思うこともないでしょう。それどころか、全く別のことで頭を悩ましていて、とても幸せなどと感じることができないかもしれません。
幸せが比較だとしたら、それは絶対的なものではなく、相対的なものだということです。つまり人によって幸せは違い、自分でもその時によって違うということです。
では絶対的な幸せは存在するのでしょか? 自他の区別を超越して比較することなく、過去の経験の積み重ねに影響を受けることのない幸せはあるのでしょうか?
私はあると思いますし、全ての人が知っているはずです。そしてそれを思い出すことが、この世に生まれてきた本当の目的だと確信しています。
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