昔の方が良かった、と感じる理由
最近のネットでよく見聞きするのが、日本の治安が昔に比べて悪くなったという内容。なんとなくだけれど、ボクもそうだと感じることがある。
現在では外出時に玄関の鍵をかけるのは普通だし、自宅にいる時もドアはロックしてある。でもボクが子供の頃なんてかなりいい加減。夏は玄関を網戸にして開けっぱなしは普通だったし、外出時でも合鍵がすぐわかるような場所に置いてあった。
ただ客観的なデータを見る限り、日本における凶悪犯罪は確実に減っている。ボクたちの感覚とは違って、日本における治安は昔より良くなっている。なぜこのような錯覚が起きるのだろう? そのことについてとても参考になる記事を読んだ。
古代ローマ人「世も末だ」現代人「世も末だ」←この理由をハーバード大が解明
「世も末だ」という言葉があるけれど、米国のハーバード大学(HU)とコロンビア大学(CU)で行われた研究により、現代社会における道徳的荒廃は錯覚に過ぎないことを解明している。これがかなり笑える。
現代人が「世も末だ」と言っているように、古代ローマ人も「世も末だ」と嘆いていた。詳しく調べると他の時代の人も、同じことを語っている。もしそれが絶対的な事実だとすれば、古代ローマから道徳的荒廃は進む一方ということになり、現代社会はかなりヤバいということになってしまう。
だけどそんなことはない。要するに、いつの時代の人も「世も末だ」と嘆いてきたということ。リンク先の記事に書かれた説明が全てを語っている。
『わかりやすく言えば、1980年代の人々が1980年代の道徳性を100点満点中60点と評価していたとすると、1990年代、20000年代、2010年代、2020年代の人々も同じように、自分たちの時代の道徳性を60点ぐらいだと考えていたのです』
人類の本能的な性質として、昔の方が良かったと感じるといういこと。こうなる理由に関しても、研究チームが大きく2つにまとめている。
『1つ目は人類が築く情報ネットワークは「道徳的にスゴイ」というニュースよりも「道徳的に許せない」ニュースのほうを好んで伝達する性質がある点です』
これはネット時代で、さらに加速している理由だと思う。ニュースというのはいいものより嫌なことが優先される。ボクが子供時代の頃に比べると、ネットによって嫌なニュースがあっという間に拡散されてしまう。それゆえ現代の方が凶悪事件が多いと錯覚してしまうのだろう。
『2つ目は「過去を美化するフィルター」の存在です』
この理由もわかる。人間の記憶には、嬉しいことや悲しいことが混在している。でも時間が経過することで、優先順位として嬉しい記憶がポップアップしやすくなるらしい。悲しい記憶が消えたわけじゃないけれど、過去を振り返るときには嬉しい記憶を目立たせるという心理機能が働く。それゆえ「昔はよかった」という感覚になりやすい
なるほどねぇ。悲しいニュースがいつも流れ、自分の過去を美化していれば、「昔は良かった」になってしまうだろう。こうなると現在に関して客観的な視点を持つことが難しくなってしまう。とても参考になる記事だった。
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