今日の言葉 12月10日
『祈りとは複雑な問題である』
人間が抱えているあらゆる深刻な問題同様、祈りは複雑な問題で、軽率に取り組むべきものではありません。それには忍耐と、注意深くて我慢強い厳密な調査が必要です。また決定的な結論も明確な解決も要求してはいけません。祈りを捧げる者は、自分自身を理解していないと、まさに自分が捧げるその祈りによって、自己欺瞞に導かれてしまうことがあります。
祈願に明け暮れれば、それなりの恩恵がもたらされ、望んだことがしばしば叶う。それで尚一層、神への祈願が強まります。すると今度は、物を求めたり、人を求めたりする祈りではなく、真実在や神を経験したいという祈りが出てきて、これもまた、しばしば聞き入れられる。このような祈りには全て、それなりの見返りがあります。祈りはそれなりの経験をもたらしてくれます。しかし祈りは究極の真実在の体得に導いてくれるのでしょうか?
私たちとは過去の産物なのではありませんか? したがって、私たちは、貪欲や嫌悪、並びにその反対物などの巨大なたまり場とつながっているのではありませんか? 訴えかけたり、祈願を捧げたりする時、私たちは間違いなく、この貪欲などのたまり場に呼びかけているのです。
それはそれなりの見返りをもたらしてはくれますが、代償も伴います。他人、あるいは外部の何ものかに祈願することで、真理に対する理解はもたらされるのでしょうか?
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜