客観から主観の世界へ
毎日せっせと洋楽のヒットチャートを追いかけて、新しいアーティストの発掘にいそしんでいる。性別で考えると、ボクは女性のヴォーカリストに注目している度合いが高い。
もちろん男性にも素晴らしいミュージシャンは大勢いる。だけど相対的に見て、女性のほうが個性的で魅力を発している人が多いように思う。ボクが男性だということが影響しているかもしれないけれど、それだけじゃないと感じている。今の洋楽シーンは、全体的に女性が牽引していると思う。
ボクがここのところ注目している女性ミュージシャンは2人いる。その一人がアン・マリーというイギリスの女性。今年の4月の末にデビューアルバムがリリースされていて、じっくり聴き込んでいる最中。彼女の魅力は歌唱力なんだけれど、ボクが気に入ったのはビデオクリップでの雰囲気。
美人というタイプじゃないけれど、なんとも言えない好感を持った。ラブコメディの映画に主演できると感じるような雰囲気。ちょうど今、『2002』というシングル曲が洋楽のトップ10にランクインしている。この映像を見てもらったら、ボクが感じている雰囲気が伝わると思う。
もう一人はジェス・グリンという、これまたイギリスの女性ミュージシャン。ボクが気になるのは、圧倒的にイギリスのミュージシャンが多い。レッドヘアが印象的だけれど、惹きつけられたのは彼女のハスキーな声。一度聴いたら忘れられない心地よさを感じさせる。この声がアップテンポのポップスによく乗る。
すでに2015年にデビューアルバムが出ているけれど、ここのところスマッシュヒットを連発しているので、まもなくニューアルバムが出るはず。他のミュージシャンとのコラボ曲も多い。今は『I’ll Be There 』という曲が大ヒット中。ぜひ、彼女の素敵な声を経験して欲しい。
音楽との出会いは不思議。最初は客観的な距離を取って聴いていたのに、魅力があるミュージシャンはいつしか主観の世界に取り込まれてしまう。その瞬間、その曲はどこにでもある音楽じゃなく、『ボク』の音楽の一部になってしまう。
これは音楽だけじゃなく、映画や小説の世界でも同じ。映画を見ている観客を、客観から主観の世界へ見事に誘導していく作品を観た。
『パトリオット・ゲーム』という1992年のアメリカ映画。何度も観ている作品だけれど、久しぶりにハリソン・フォードが演じるジャック・ライアンに会うことができた。
とてもシンプルな作品。元CIA分析官のジャックは、イギリスでテロ事件に巻き込まれる。そのとき果敢に戦い、テロリストの一人を射殺する。弟を殺されたテロリストが、復讐するためにジャックの命を狙うという物語。
この映画が素晴らしいのは、観客を味方につけていくところ。テロリストが悪いに決まっているのに、弟を殺されたことでショーンというテロリストはジャックの命を狙う。その時点で逆恨みなのは明らかなので、ショーンに対して嫌悪感を持つ。勝手な大義名分でしかない。
それだけでもムカつくのに、実際に襲いかかってくる。ジャック自身も殺されそうになり、妻と娘も狙われる。娘が命に関わる重傷を負ったところで、観客の怒りはピークに達する。
CIAに復帰することを固辞していたジャックが、怒りのあまり復帰を決意する。おそらくほとんどの人が、心で拍手をしてガッツポーズをしているはず。「よし、行けジャック。ショーンを打ち負かせ!」と叫びたくなる。この段階でジャックは映画の登場人物ではなく、すでに観客の身内になっている。
久しぶりに観て、うまくできているなぁと感心した。これは映画だけでなく、トム・クランシーの原作小説が素晴らしいからだろう。こうなるとこの映画の続編になる『今そこにある危機』が観たくなった。もう一度、ジャックとその家族に会いに行こうと思う。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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