今日の言葉 5月21日
『とらえがたき真理』
精神が鎮まり返っている時、自らが立てる騒音という重荷から解放されている時、思考がない時、そのような時、理解がひらめくようにして、また、洞察がとてつもない素早さで、あなたに起こります。
しかしそのような静寂を養うことはできません。なぜなら静寂な精神をあなたが養おうとしたりすれば、それは静寂な精神ではなく、生気のない精神になってしまうからです。
何かに興味を持てば持つほど、何かを理解しようとすればするほど、精神はより単純で澄み、明晰で自由になります。そうすると言葉で表現しなくなります。つまるところ思考とは言葉であり、障害となるのはその言葉なのです。
このような訳で、ペチャクチャおしゃべりしている精神、言葉で表現している精神には、真理を理解することができません。ただしこれは、関係の中に存在する真理のことで、抽象的な真理のことではありません。抽象的な真理などというものは存在しないのです。しかしながら真理は非常にとらえがたいものです。
真理は抽象ではありません。それは非常に素早く、そっとやって来るので、精神には捉えることができません。夜盗のように、それはこっそりやって来ます。あなたにそれを受け入れる準備が整っている時、やって来るのではないのです。そのようにして受け入れるとしたら、あなたは貪欲になるだけです。このような訳で、言葉の網に捉われている精神には、真理を理解することができません。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜
ひのっちさん、コメントありがとうございます♩
言葉は二元性を持っていますから、無限を有限に変えてしまいます。
私たちの自我は、言葉で構成されていると言っていいのでしょう。
意識が目覚めるということは、言葉の概念から解き放たれることなのかもしれませんね。
そらさん、今日の言葉ありがとうございます。
世界は思考であり言葉だと。
最初に言葉ありき。
ふむふむ、言葉自体が幻想なんですね。
本当は自分というのは存在していないから、
そうなるんでしょうね。