今日の言葉 12月11日
『祈りに対する応え』
嘆願、祈願である祈りによっては、真実在は決して見出されません。真実在は要求してもたらされるものではないのです。私たちが要求し、懇願し、祈るのは、自分たちが混乱している時、悲しんでいる時だけで、その混乱や悲しみを理解せずに、私たちは他人に頼って、その混乱や悲しみを晴らそうとするのです。祈りに対する応えとは、自分自身の投影です。
ところで、祈り、懇願、嘆願には、精神の投影物でないものを理解することが絶対にできません。精神の作り事でないものを見出すには、精神は静かでなければなりません。と言っても、同じ言葉の繰り返し───それは自己催眠です───や精神を静めるための他の様々な手段によって、おとなしくさせられるのではだめなのです。
誘発された静寂、強制された静寂は、静寂では全くありません。それは子供を教室の隅に立たせるようなものです。表面的には子供はおとなしくなるかもしれませんが、はらわたは煮えくり返っています。
と言うことで、鍛錬によって静かにさせられている精神は、実際は決して静かではないのです。ですから、誘発された静寂は創造的状態を絶対に発見できません。そして真実在は、その創造的な状態の中に出現するのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜