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高羽そらさんインタビュー

今日のウィルバーくん 1.3

しばらくは、ウィルバーが語った「目撃者」について考察していきます。「目撃者」とは、本当の私です。生まれることも死ぬこともなく、「ただ在る」という至高の存在です。ですから「目撃者」は全てを目撃しますが、目撃されることはありません。私たちの目が、目自体を見ることができないのと同じです。鏡に映っているのは目そのものではありません。それは鏡です。ではウィルバーの語る「目撃者」を見てみましょう。

 

〜以下抜粋。

 

「目撃者」は、心──身体の内側と外側に起こる出来事の流れを創造的に切り離された態度で見つめることである。実際には、目撃者は、心──身体の内にも、外にも、どちらにも同一化していない。言い換えれば、自分の心も身体も客観的に眺めることができることを認識している個人は、心も身体も、真の主観的自己を構成しているものはない、と自然に認識するのである。

 

ケン・ウィルバー著『永遠の心理学』より。

 

「目撃者」は、大きな第一歩である。そして瞑想における必要かつ重要な一歩であるが、それが究極ではない。「目撃者」ないし魂が最終的に解体されると、「目撃者」は、目撃されるものすべての中に溶解する。主体/客体の二元性が解体され、そこにはただ非二元的な意識があるのみである。この意識は、非常にシンプルで、明々白々なものである。

有名な禅の老師が語った時にこう言ったように───「鐘の音が鳴った時、そこにはわたしも鐘もなかった。あるのはただ音のみであったよ」と。

 

〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『グレース&グリット」より。

 

とても深い言葉なので、何度も読み返して咀嚼する必要があります。そうすると、何らかのイメージがやってくるはずです。

 

「目撃者」を知るうえで最も陥りがちな誤りは、「目撃者」という人間化した存在をイメージすることです。その具体的な姿を思い描いた瞬間、その「目撃者」は目撃される対象になってしまっています。それでは先ほどの老師の言葉と違い、わたしも鐘も分離したまま存在していることになります。

 

客観的に見られるものは「目撃者」ではありません。それはウィルバーが言っているように、解体された非二元的な意識なのです。まだ対象物を対象物としてみている限り、そこには分離が存在しています。主体と客体がまだ認められます。「目撃者」は主体ではあるのですが、やがて客体とともに溶解するのです。そこに分離は存在していません。全てはひとつなのです。

 

最初はとっつきにくい発想でしょうが、徐々に理解できるはずです。今年一年を通して、何度もこのことを語っていくことになると思います。私自身の学びのために。

 

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高羽そら|たかはそら(作家、小説家)プロフィール

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高羽そら(たかはそら)
今後の目標:毎年1つの物語を完成させたいと思います。
生年月日:昭和37年5月10日
血液型:A型
出身地:京都市

【経歴】
1962年京都市生まれ。数年前に生活の拠点を神戸に移してから、体外離脱を経験するようになる。『夢で会える 体外離脱入門』(ハート出版)を2012年1月に出版。『ゼロの物語Ⅰ〜出会い〜』、『ゼロの物語Ⅱ〜7本の剣の守り手〜』、『ゼロの物語Ⅲ〜次元上昇〜』の3部作を、2013年7月〜12月にかけて、オフィスニグンニイバよりAmazonのKindleにて出版。現在も新たな物語を執筆中。

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