今日のウィルバーくん 1.19
昨日まで二日間をかけて、二つの間違いについてのウィルバーの文章を見てきました。
それは、「目撃者」を対象として見ようとすること。エゴを切り捨てようとすること、の二つです。
その対策として、対象として見るのではなくそこに落ち着くこと、切り捨てるのではなく単に感じることが、大切だと説明しています。そうすることで「一如」(ワン・テイスト)の世界が前面に出てくると述べています。
ではそれらをまとめたウィルバーの言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
「目撃者」に落ち着く。自己収縮を感じる。「目撃者」は自己収縮を感じているものである。したがって「目撃者」は、自己収縮ではない、あなたは「目撃者」である。
開け、自由、空性、解放のなかに安らぐ。自己収縮を感じる。ありのままにまかせよ(Let it be)。すべての感覚をありのままに任せるのと同じで、あなたは雲を、木々を切り捨てるようなことはしない。それと同じように、自己収縮も切り捨てる必要はない。ただ、あるがままにまかせよ。そして、あなたは、あなた本来の姿である、広大な自由のなかに落ち着くのである。
この自由な空間にいる、ある時あなたは、この自由の感覚には、内側も外側もなく、中心もなく、その周囲もない、ということに気が付く。思考がこの自由のなかに漂う。雲がこの自由のなかを漂う。世界がこの自由のなかで起きる。そして、あなたとは、それなのである。空はあなたの顔、空気はあなたの呼吸、大地はあなたの身体である。すべて、近く、さらに近くあるのだ。この自由のなかに安らぎ、落ち着いているかぎり、あなたは世界である。あなたは無限の充満性(フルネス)、無限の円満である。
これが一如の世界である。そこには外側もなく、内側もなく、主体もなく、客体もない。こちら側に対するそちら側、ということがない。始まりがなく、終わりがなく、方法もなく、手段もなく、道もなく、ゴールもない。これが、ラマナが言ったように、最終的な真実である。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著(ワン・テイスト)より。
素晴らしい文章です。とても美しい。何度もかみしめて読みたくなります。
二日前からのブログを読んでいただけたら、ここに描かれている意味が理解していただけると思います。
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