今日のウィルバーくん 1.12
今日もラマナ・マハルシの言葉を、ウィルバーがどのように説明しているか見ていきましょう。
この世界は幻である。
ブラフマンだけがリアルである。
ブラフマンは世界である。
この意味不明な言葉について、ウィルバーがどのように言っているかを昨日から見ています。最初の「この世界は幻である」は、対象として目撃できるこの世界は真我ではない。よってこの世界は幻である、という説明でした。
では幻ではないリアルなものとは何か? このことを語ったのが二行目の「ブラフマンだけがリアルである」という言葉です。
ブラフマンというのはヒンドゥー教における宇宙の根本原理を指します。自己の中心であるアートマンと同じ意味であり、真我と言い換えてもかまいません。ウィルバー的に言えば目撃者です。つまり「本当の自分」のことです。ではその部分の文章を抜粋します。
〜以下抜粋。
「ブラフマンだけがリアルである」。「自己」だけがリアルである。それは属性を持たないブラフマン──アートマンである。それは目撃者、非──時間的な「不生」なるもの、無形の見者、根源的な「私──私」、輝くような空性である。それがリアルなものであり、それだけがリアルなもののすべてである。それは、あなたの本来の性質、エッセンス、未来、望み、運命である。しかし、それは、常に現前する。なぜなら、これだけが純粋な「現前」「一者」「一人なる一人」だからである。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『ワン・テイスト』より。
難しい言い回しに惑わされないでください。実はとてもシンプルなことを説明しているだけです。
一行目でこの世界は幻である、と断言しています。それを受けて、幻でないリアルなものは何か。それが真我である、と語っているだけなのです。
一種類の言葉のイメージで固定化されないように、数多くの言葉を持ち出しているだけです。難解に見えるウィルバーの文章というのは、実はこうしたシンプルなもので構成されていることが多くあります。イメージに惑わされないで、その本質を読み解くことが大切です。
そしてこの文章で最も大切な部分。それはそうした本来の性質が、「常に現前する」と書かれているところです。
私たちの本質は厳しい修行をしたからとか、善行を積んだからといって現れるものではありません。自分が犯罪者であろうと、涙に暮れていようと、今ここに、常に現前しているのです。獲得するものでも、到達するものでもありません。今、ここにあります。そんな大切な言葉を、最後にサラッとウイルバーは触れていますね。
三行目については、明日取り上げます。
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