多様性を受容する難しさ
人それぞれはユニークな存在であって、同じ人なんて一人もいない。だからちがいを受け入れましょう、というのが多様性社会を支える基本。
それを受けてLGBTという言葉に象徴されるように、ジェンダーのちがいについての受容が進んでいる。でもそれは好意的な味方であって、反発している人が多いのも事実。さらに多様性を受け入れていると自覚している人でも、果たしてその本質的な意味を理解できているんだろうか?
ボクはある記事を読んで、自分の感覚に自信が持てなくなった。多様性を受容するとは、どういうことなんだろう?
「みんなの文化を尊重」かえって溝広げた? 「多文化主義」問い直すヨーロッパ
移民の受け入れについて書かれた記事。いまのヨーロッパで起きていることがまとめられていて、とても素晴らしい記事だった。
ヨーロッパで移民の受け入れが進んでいるのは、国境が陸続きで存在している地理的な要因だけではない。社会が成熟することで、高齢化社会へと移行していく。それゆえ若い世代の労働力を確保するため、積極的に移民が推進された。
この状況はいまの日本も同じで、移民や難民の受け入れに対して真剣に考える時期がきている。それゆえヨーロッパで起きていることが参考になるはず。
移民を受け入れるということは、多文化を取り入れることでもある。それまでその国に存在していた文化に加えて、新しい文化を容認する必要がある。その『多文化主義』を積極的に進めたのがスウェーデン。
たけど他国の文化を尊重したことによって、大きな問題を抱えることになってしまった。例えば殺人のような犯罪が起きたとき、普通はその国の法律によって裁かれる。だけどある民族が暮らしている地域では、それを民族特有の習慣によって処理してしまうことがあるそう。
つまりその国の法律を無視してしまうことになる。結局はスウェーデンの人たちと移民のあいだに深い溝ができることになり、移民が集まる地域では犯罪が多発するようになった。加害者も被害者も移民ということが多くなり、『多文化主義』が正しいことかどうか疑問に思う人が増えているそう。
フランスは最初から『同化主義』を採用していた。移民は受け入れるけれど、フランス人として暮らすことを強制した。だから他国の文化を容認しない。イギリスはそんなフランスに反発して『多文化主義』を取り入れたけれど、いまや完全に崩壊しつつあるそう。
それがEUからの脱退という決断に現れている。移民による犯罪の増加や不法移民が増えたことで、外国人の受け入れを拒む声が増えてきた。多様性を受け入れる姿勢で始めたけれど、そうすることによってかえって国としての団結が維持できなくなる。結局は『同化主義』に移行するしかないという状態とのこと。
詳しくはリンク先の記事を読んでもらったらと思う。本当にいろいろなことを考えさせられた。他人とのちがいを受け入れるということは、決して我慢することではないはず。特に民族がちがえば、どうしても納得できない習慣等があるのは当たり前。
だからといって、郷にいれば郷に従えを強制するのも違和感がある。そこには移民を受け入れてやっているという、上から目線の圧力を感じるから。それもなんかちがうような気がするんだけどなぁ。
多様性を受け入れるとはどういうことだろう? ボクもわからなくなってきたので、もっと根源的な意味で考えてみる必要があるように思う。
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