ガストンとの対話2 Vol.3
ガストンさん、北海道で悲惨な自動車事故がありました。家族5人のうち4人が亡くなっています。その家の長男は、相当長い距離を引きづられて亡くなったとか。ひき逃げ容疑で逮捕された男は、任意保険に入っていなかったので現場から逃げたとのニュース報道です。事故の直前に100km以上のスピードで走っている自動車も確認されているようです。相変わらず事故というものは無くなりませんね。
「交通事故による死者数は減っているが、悲惨な事故は後を絶たない。事故というものを突発的なものだと考えると、防ぐことができるはずだな。極端な話し、事故数がゼロであっても不思議ではない。ところが一定数の事故が発生して、一定数の人間が怪我をしたり命を落としたりしている。そこから何かを読み取ることもできるであろう」
交通事故は偶然や突発的な出来事ではない、ということですか? ちょっとややこしい話題になりそうですね。昨日ネットである記事を読みました。前回話題にしていて車の自動運転についてです。金沢の大学である教授が研究していますが、実用化は間もなくとのこと。でもそれでも事故が無くなることはないだろう、と言われていました。驚異的に事故数は減少するとの見解でしたが。
「人間の手を離れることで、大幅に事故は減少するだろう。なぜなら事故の大半は、関わる人間の意図によって起こしているものだからだ。人間は事故という現象を利用することがある」
そう言われると、ちょっと複雑な印象を持ってしまいます。確かに自動運転やオンボードカメラが義務化でもされたら、大幅に事故は減るでしょうね。でもどうして人間は事故を起こしてしまうのでしょう。パラレルワールド存在するなら、今回の事故に関しても違った結果の世界があるはずですね?
「もちろんそうだ。だがこの現実では起きた。それは起きるべくして起きている。事故に関わった人間の背後にいるガイドたちは、事故以前から何度も警告を出していたはずだ。それは胸騒ぎだったり、他の事故のニュースだったり、駐車違反等の取り締まりだったり、誰かの言葉だったりする。任意保険に入っていないから逃げたという男にだって、事故を避けるための警告は何度もなされていたはずだ。自分の心の声に耳を貸すことがなかったのであろう」
いくつも警告が出ていたにも関わらず、結局は事故が起きてしまったということですか。ガイドたちはがっかりしているでしょうね?
「お前さんが思うほどではない。死に対する概念が違うからな。死を忌むべきものとか避けるものだとは考えていない。その人間にとって最善で最高の学びの機会を提供しようと意図するだけだ。だが極力この現実世界をより長く体験できるようにさせたい、とは思っているだろう」
なるほど。遠く離れた場所で起きた事故ですが、ニュースになることでこうして何かを考えることができるのですね。
「あるニュースを知るということは、そこから何かを学べるということだ。どうでもいいニュースなら、最初から目にすることはない。例えばお前さんは、世の中には偶然はない、全ては必然だと確信しているな?」
えぇ、そうです。
「ではこの事故は必然だったのか? 全てが必然であるなら例外はないであろう。亡くなった4人は死ぬべくして死んだ、とお前さんは断言できるか?」
…………。
「答えがないのは、必然だと思っているが、遺族に対してや、このブログを読んでいる人の心象を悪くしたくないと思っているからか? それとも、そんな悲惨なことが必然だと思いたくないからか?」
そのどちらの気持ちも、私の中に存在しています。全ては必然だと信じているけれど、遺族の方に面と向かってそう言えるかと問われたら、無理だと答えるしかありません。そして心のどこかで、そんなことが必然的に起きてほしくないと思っています。
「それが当たり前だよ。そしてそれがお前さんの学ぶべきことだ。全ては必然だと、知識としては明確であろう。だがこうした事例を知った時、それが理解までに至っていないことを知ることができる。心のどこかで、全てが必然だと思いきれていない部分があるということだ。スピリチュアルな知識は、本を読むだけでは意味がない。それを現実世界で行動に移して、初めて理解したと言える」
なるほど。この事故のニュースが私の目に止まった理由が分かりました。
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