今日のウィルバーくん 1.8
今日は「目撃者」と時間の関係について見てみましょう。私たちは時間という概念に支配されています。この世に生まれてから、過去、現在、未来という流れのなかで物事を理解してきました。しかし「目撃者」は時間に影響されません。時間という概念の枠外に存在しています。
ところがこの時間の枠外、という感覚を理解することは難しい。なぜなら私たちの意識が時間の真っ只中に存在しているからです。ウィルバーが「目撃者」と時間について述べている文章を抜粋します。ここでは「見者」という言葉で記されています。
〜以下抜粋。
そこで、この「見者」は誕生し、時間とその流れ、空間とその運動に先立ってあり、顕現に先立ってあり、ビック・バンに先立ってあるものである。この純粋な「自己」がビック・バン以前に時間のなかにあったということではない。それは時間に先立って、ある、ということである。すなわちそれは決して時間の流れのなかに入らない。それは時間に気が付くがゆえに、時間から自由であり、完全に非──時間なのである。非──時間であるがゆえに、それは永遠である。永遠というのはずっと続くということではない。時間から完全に自由であるということである。
決して生まれることがないので、死ぬことはない。不生不滅である。それは決して時間の流れのなかに入らない。それは、この偉大な「不生」という自由である。それゆえに、ブッダはこう言う。「生まれることなく、作られることなく、創造されるということもない。生まれたもの、作られたものには、解放ということはない」。
「不生」であるがゆえに、不滅である。それはあなたの身体と一緒に作られたのではない。それはあなたの体がなくなる時、なくなるものではない。それは、あなたの身体的な死を超えて生き続けるというのではなく、そもそも、時間のなかに入るということがないのだ。それはあなたの死後も生き続けるわけではない。そもそも、常に、あなたの身体に先立って、あったのである。それは時間とともに永久に進行するのではなく、そもそも時間の流れそれ自体に先立って、あるものである。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『万物の歴史』より
とても奥の深い文章です。いい文章ですね。何度も読み込めば、時間と意識の関係について感じるものがあるはずです。
科学的な時間の始まりは、宇宙の始まりと同じです。それがビック・バン。ミクロの点が爆発することで、宇宙が拡大を続けています。それこそが時間の正体でもあります。
しかし「目撃者」はそのビック・バンと同時に生まれたのではない、とウィルバーは言います。宇宙が始まる以前から、つまり時間が始まる以前から存在していたと説明します。いや「以前」という言葉も正確ではありませんね。『目撃者」は時間の外側にいますから、以前という概念もありません。
「目撃者」というものは、常にそこに「在った」のです。
できる限りの想像力を働かせて、時間の枠外にある「目撃者」を感じてみてください。それこそが想像力の本当の使い方だと思います。
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