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高羽そらさんインタビュー

ガストンとの対話2 Vol.28

ガストンさん、昨日ネットのニュースで見ましたが、19歳くらいの人だと「テレカって何?」だそうです。テレホンカードを知らない世代が間もなく成人になるのだと思うと、世代の格差を感じてしまいます。

 

「テレホンカードと言えば、お前さんの世代が若者だった時に主流だったアイテムだな。現代ではテレホンカードどころか、公衆電話さえ存在感が無くなってきている」

 

そうですよね。私が10代や20代の頃は、自宅や職場周辺の公衆電話の場所を把握していました。もちろんテレカが流通する前も公衆電話は利用していました。学生時代に石川県から京都の彼女へ電話するのに、公衆電話の隣にあるパチンコ店で千円札を100円玉に両替して電話していましたからね。

 

「お前さんたちの上の世代でも、同じような感覚を抱いているだろう。40代以前の世代なら、洗濯板で洗濯をすることを知らないのではないか。洗濯機がなければどうして洗濯していいのか、わからないであろう」

 

私は50代ですからギリギリ覚えていますよ。母親がいつも洗濯板で洗濯しているのを見ていました。エアコンだって、若い世代は物心ついたころからありますものね。私の子供時代は自宅にエアコンがあるなんて想像できませんでした。夏休みになると、友達と銀行に意味なく入って涼んでいました。

 

「あはは、お前さんは今でも家にエアコンが無いぞ。子供時代と同じだな」

 

まぁ、それはそうですけれどね。でもこのニュースを見て思いました。年齢を重ねるということは、そうした過去の遺物のような記憶を貯め込んでいるのと同じだなって。現在では必要のない物に関する記憶が、ごろごろと放置されている気分です。

 

「それが人生を象徴しているとも言えるであろう。誰かに連絡を取ると意図した場合、10代の人間ならスマホを使うか、パソコンのメールやSkype等しか浮かばないだろう。お前さんたちの世代でも、結果は同じかもしれない。だが無意識に、過去の公衆電話や手紙が普通だった時代の記憶を通過している。回り道をしている、と言っていいだろう。途中で強くひっかかる記憶に出会ったら、そこで思考停止になることもある」

 

貯め込んだ記憶が多いと、余計なことを考える可能性も高くなるということですね。前回にも対話しましたが、余計な概念や信念を抱えることによって、ストレートな意思決定ができずらくなっているのかもしれませんね。

 

「そうだ。意識の覚醒を意図するならば、そうした概念を手放すべきだ。もっと明確に言おう。お前さんが生まれてから現在まで手にした知識を、全て捨てることだ。学校で学んだことや、社会人で得た経験も、何もかも必要ない。そんなもの捨ててしまえばいい」

 

相変わらず過激ですね。それじゃ意識の覚醒に関して言えば、知識を持たない自我を持つ前の赤ん坊が最適じゃないですか。

 

「その通りだ。子供のようであることが、悟りを知るための重要な条件となる。子供であることが、どういうことだと理解できているか?」

 

あなたと何度も対話していますからね。全ての出来事を、初めてのように経験することですね。子供たちは好奇心を失うことなく、あらゆる出来事に「初めて」という新鮮な気持ちで対峙しています。子供のようであるということは、そうあることだと理解しています。

 

「その通りだ。だからわしは先ほども言った。全ての知識と経験を捨てるべきだとな。生まれたての子供に戻るために、全て捨ててしまうがいい」

 

でも社会生活をしていくのに、知識は必要でしょう。そうでないと赤信号で道路を横断することになります。買い物に行ってもお釣りの計算さえできません。人間としての今までの知識を捨ててしまえば、生きていけません。それでも赤ん坊に戻れと言うのならば、生まれてきた意味がないじゃありませんか。

 

「あはは、お前さんも対話の誘導がうまくなったな。わかっているくせに、わざとわしに答えを言わせようとしているであろう」

 

バレているようですね。

 

「まぁ、いい。知識を捨てる、という言葉を文字通り解釈するのは愚者の行いだ。身につけた知識を消すことなどできない。ただ、それらが意識の覚醒に関して、何の役にも立たないことを自覚することが大切なのだ。どれだけ知識を貯め込んでも、どれだけ経験を積んでも、悟ることはできない。そのことを身をもって知ることで、最終的に知識を捨てることができる」

 

まずは知識や経験では、悟りに行き着けないことを知るのが大切なのですね。そしてそれは赤ん坊には経験できないことです。つまり生きている意味とは、そうした知識や経験を積み重ねること。そのうえで、赤ん坊のような意識に戻ることが必要なのですね。

 

「そうじゃ。だから人間は生まれてくるのだ。赤ん坊として悟っても意味がない。一度は知識や経験にまみれてしまうことが必要なのだ。そして、どれだけ知識や経験を積んでもダメだと理解した時。そこにあるもの。それは「降参」だよ。降参することによって、それらの呪縛から解かれる」

 

あなたが知識を捨てろ言ったのは、その知識を失くせと言ったわけではないのですね。どれだけ知識を溜め込んでも悟ることはできない。そして「あぁ、もう降参した!」と全てを手放した瞬間、真理を理解できる。それが知識を捨てる、ということの本当の意味ですね。

 

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コメント (2件)

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  1. ひのっちさん、コメントありがとうざいます♩

    ガストンが言いたかった知識を捨てるということは、降参だったようですね。
    それも徹底的に知識を求めて、ウンザリして、最終的に降参へと至ることに意味があるそうです。
    ですから、できる限り経験をすることが人生では大切なのでしょうね。

    それにしても自我は、不思議な存在ですね。
    そして興味深い。
    だからこそこの自我を超えていく醍醐味は、その当人しか理解できないのでしょう。

  2. そらさん、対話記事ありがとうございます。

    降参か~、そういうことですか。
    ああ、どっかで聞いたなぁー、今はもう見てないブログですけど。
    正と負やら両方分かって、はじめて仏陀ですね。

    覚醒やスピ系の本、見なくてもいいんですけどね。
    ここは、まだ抜けられないです。

    後は、解放を求めても解脱出来ない自我と、そもそも解放さえも端から求めない自我とのギャップは何でしょうね。
    どれだけ語っても、
    自我にどっぷりつかる人はいますから。
    それぞれの自我って、思考パターンが完全に固定されてるような・・


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高羽そら|たかはそら(作家、小説家)プロフィール

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高羽そら(たかはそら)
今後の目標:毎年1つの物語を完成させたいと思います。
生年月日:昭和37年5月10日
血液型:A型
出身地:京都市

【経歴】
1962年京都市生まれ。数年前に生活の拠点を神戸に移してから、体外離脱を経験するようになる。『夢で会える 体外離脱入門』(ハート出版)を2012年1月に出版。『ゼロの物語Ⅰ〜出会い〜』、『ゼロの物語Ⅱ〜7本の剣の守り手〜』、『ゼロの物語Ⅲ〜次元上昇〜』の3部作を、2013年7月〜12月にかけて、オフィスニグンニイバよりAmazonのKindleにて出版。現在も新たな物語を執筆中。

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