今日のウィルバーくん 1.11
ウィルバーの著作を読んでいますと、必ずと言っていいほど出てくる名前があります。それがラマナ・マハルシです。
マハルシって誰? という方のために簡単に説明しておきましょう。
南インドの聖者と呼ばれている人で、1950年に70歳で亡くなっています。意識の解放に関するまっすぐな道として、真我の探求を説かれた人物です。
1896年の16歳の頃、突如として起こった死の体験に触発された内的探求から、完全な、無限の、不死の、実在かつ意識かつ至福である真我こそが、本当の自分であると悟ります。本を書く方ではないので、著作はありません。アシュラムを通じて、多くの求道者と対話を続けてこられた人です。
人それぞれに道があるから、その修行方法について特定の方法を指示することはありません。この世界の幻想を見抜いて、自分ではないものを否定することで、真我を見つけることを提唱されています。著作ではありませんが、そうした対話が収録された書籍があり、私もほとんど読んでいます。
そんなマハルシのある言葉を、ウィルバーが解説しています。それを今日から4日間くらいに分けて紹介したいと思います。まずはそのマハルシの言葉です。
この世界は幻である。
ブラフマンだけがリアルである。
ブラフマンは世界である。
読んでみていかかですか? 何のことだがさっぱりではないでしょうか。分解してみていきましょう。まずは「この世界は幻である」です。
〜以下抜粋。
「この世界は幻である」。すなわちあなたは、一切の対象ではない、ということである。見ることのできるもの一切は、究極的にはリアルではない。あなたは、ネティ、ネティ(アドヴァイタ・ヴェーダンタの根本命題、否定の道、究極のリアリティは否定的にしかいい表すことができないということ)、つまり、これでもなければ、あれでもない。いついかなる場合も、あなたは有限で時間のなかにあり、うつろいやすく、まぼろしのような苦痛を拡大し、苦しみを誘発する、この顕現世界に救済の基礎をおくことはできない。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『ワン・テイスト』より。
マハルシのたった一言が、ウィルバーの説明によるとこうなります。ざっと読むと難解ですが、ポイントだけ捉えておきましょう。
まずは前提として、本当の自分、つまり真我こそがリアリティである、ということです。逆に言えば、真我でないものは幻である、ということですね。
ここでこれまで書いてきた「目撃者」を思い出してください。それが真我です。ですから対象として見ることのできるものは、目撃されるものであって、目撃者ではありません。この世界の一切は見ることができる対象です。ですから真我ではありません。
よって、世界は幻である、という論理が成り立ちます。これがマハルシのやり方です。
見えているもの、聞こえているもの、感じているもの、それら対象の全てが真我でないことを確認していく作業です。ネティ、ネティ、と言って、これでもなければ、あれでもないと否定していきます。そして最後に残ったものこそが、真我である。そのことをウィルバーは説明してます。
ですから「この世界は幻である」という言葉が最初に来るわけです。明日は二行目について見ていきましょう。
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