視点を変えると見えるもの
少し前のブログで告知したとおり、金曜日の夜にclubhouseを使ったラジオ番組に生出演した。緊張しつつも楽しい時間を過ごすことができた。そのときの放送をアーカイブで聴けるんだけれど、ボクはどうも録音が苦手。
それは自分の声に慣れないから。6年ほど前にFM愛知の番組に出演して、収録だったけれど4週にかけて放送された。その時もオンエアを聴いたけれど、スピーカーから流れる自分の声が気持ち悪い。それは当然。ボクが普段耳にしている声は、内耳を通したものに変換されているから。
つまり録音から流れる声が、日常的に他人が聴いているボクの声だということ。おそらく他人が自分をどう思っているかということに、過敏なところがあるんだと思う。それゆえ真実を知りたくない。だから自分の声を聞くのが苦手なのだろう。
これは声だけでなく、自分という人間全体に対する判断も同じ。自分自身で感じているボクと、他人が見ているボクは当然ながら違う。SNSが一般化した現代において、他者のイメージによる自分に直面することが増えた。人は自分のことをこんなふうに思っているんだ、と知ることが多い。
それは買い被りのこともあるし、誤解だと感じることもある。だからと言って、必死になってそれを正そうとは思わない。なぜならボクが自分に感じているイメージだって、買い被りや誤解の可能性があるから。つまり真実なんて、あるようでない。
だからこそ自分の視点だけでなく、他者の視点で自分を知っていくことは必要なんだと思う。自他の視点を総合したものが『自我』であって、その真実性と曖昧性が入り混じったものを、どのように捉えていくかが大切なんだと思う。
それは国としての単位でも同じ。外国人の視点から見た日本を知ると、新しい発見があるかもしれない。
コロナによる入国制限が解除されつつあるので、しばらく途絶えていた外国人観光客が増えている。新型コロナの指定が5類になる5月8日以降になると、さらに増えてくるだろう。そんな外国人から見た日本について驚いたことがまとめられている。いくつかピックアップしてみよう。
・自動販売機が多い
これは確かにそうだろう。ボクたちは慣れているからなんとも思わない。でも海外の旅番組を見ると、路上に自動販売機なんて置いていない。以前モスクワの地下通路で設置されていた記憶はある。それだって日本の企業が設置したものだった。
・何でも行列に並ぶ
あはは、これは本当そうだよね。もちろん海外でも行列はある。イタリアのある街を紹介した旅番組で、サッカー場に入場するためにきちんと並んでいる人を見たことがある。この行列に関しては、同じ日本でも違いがあったりする。
京都で市バスに乗るとき、あまり並んでいないことが多い。何となくバス停に集まっていて、バスが到着するとその時の雰囲気で乗っていく。ところが神戸に引っ越してきてびっくり。神戸の人たちは市バスに乗るのに、きっちりと行列を作っている。ボク的にはこの神戸の感覚が大好き。
・まだキャッシュでしか支払いできない場所がたくさんある。
あぁ、これもそうだろうなぁ。海外に比べたらキャッシュレスが浸透していない。ボクもタクシーなどは完全にスマホ決済になったけれど、スーパーの買い物ではいまだに現金を使用している。カード払いにしてもいいんだけれど、なんとなくそのままだよなぁ。
2025年の大阪万博では、会場内で現金は使えないらしい。キャッシュレス化を促進するため、現金の使用不可を決めていると報道されていた。アメリカではスマホやカード決済でワリカンができたり、チップも払える。世界的にはキャッシュレスが普通になってきているんだろう。
とまぁ、たまに他者の視点で自分や自国を見るのは大切だと思う。どちらがいい悪いではなく、トータルとして自分を知っておくのは有意義だろう。
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